織田信長の截香とは? わかりやすく解説

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織田信長の截香

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 05:47 UTC 版)

蘭奢待」の記事における「織田信長の截香」の解説

天正二年截香記』によれば天正2年1574年3月23日に、織田信長塙直政筒井順慶使者出し蘭奢待拝見希望伝えた東大寺足利家以外に正倉院宝庫開封例がないとしつつも、信長内裏修造などに配慮して勅使によって封が解かれれば聞き入れる返答勅許得た信長多聞山城入り勅使到着を待つ。3月28日正倉院中倉から黄熟香が城に運ばれ東大寺僧3人の立会のもと、大仏師トンシキが持参した鋸で1寸角2個を切り取る信長は「1つ正親町天皇献上し、もう1つ我等拝領」と述べた信長による截香は横暴なイメージ語られる事が多いが、米田雄介和田軍一は上記記述より好意的な評価をしている。そして、金子拓東大寺側の記録上生院浄実三蔵開封日記』・蓮乗院寅清『寺辺之記』・薬師院実祐『三蔵開封次第』)を検証したところ、信長先例確認した上で切り取り行い27日には信長自らが東大寺春日大社参詣して謝意示したことを指摘し信長申し入れ当初東大寺側も反発はあったものの、信長東大寺対す配慮により平穏に終わったとしている(特に、上生院浄実前述切り取り立ち会った3人の東大寺僧の1人で、『三蔵開封日記』は『天正二年截香記』の原本であることも検証している)。 なお、東山御文庫内には「蘭奢待開封内奏状案」(勅封三十五函乙-11-15)と呼ばれる文書伝えられている。この文書は元々、信長蘭奢待切り取り先立って空席であった東大寺別当三条西実枝(実澄)の子任じた女房奉書セットになっていたことから、蘭奢待切り取り許可求め内奏対す返事考えられていた。また、その文章内容が不満を吐露するものであったため、古くから「信長不法難詰セラル」(『大日本史料天正2年3月28日条)と解釈され長年"正親町天皇信長奏請対する不満を吐露し書状"として理解されてきた。しかし、内奏状は天皇充て出される文書であるのに天皇心境述べられている矛盾指摘され金子拓はこれは女房奉書受取であった三条西実枝から正親町天皇充てられた書状再解釈した。つまり、この文書筆者正親町天皇では無く三条西実枝である以上、不満を吐露したのも天皇ではないことになる。そして、不満の対象書状宛先である正親町天皇その人考えるしか無く少なくても"正親町天皇信長奏請対する不満を吐露し書状"ではありえない結論づけている。なお、金子解釈によれば、「不満」の内容東大寺皇室寺院正倉院開封には勅使使わすのが習いであるのに、藤氏長者二条晴良藤原氏氏寺である興福寺関与しているのを天皇止めていないことに対す批判ということになる。 蘭奢待切り取った信長は、これを周知する目的4月3日茶会催しその場千宗易津田宗及蘭奢待下賜している。また、その他に村井貞勝にも下賜したほか、正親町天皇九条稙通下賜している。

※この「織田信長の截香」の解説は、「蘭奢待」の解説の一部です。
「織田信長の截香」を含む「蘭奢待」の記事については、「蘭奢待」の概要を参照ください。

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