絹本墨画淡彩白衣観音図とは? わかりやすく解説

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絹本墨画淡彩白衣観音図〈能阿弥筆/〉

主名称: 絹本墨画淡彩白衣観音図〈能阿弥筆/〉
指定番号 1879
枝番 00
指定年月日 1988.06.06(昭和63.06.06)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 絵画
ト書 応仁二年六月七十二歳款記がある
員数 1幅
時代区分 室町
年代
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解説文: 水中より卓状につき出た岩上坐す白衣観音描いた図である。白衣観音遊戯の姿をとらず、静かに坐している。観音背後には崖が立ちあがり前後する崖の間には四、五本の竹がまばらに生え余白には雲霧たちこめている。観音肉身細く柔らかな描線かたどられふっくらとした相貌呈しているが、衣の線は太目で、素朴な味わいをもつ墨線で輪郭されている。岩や崖は、丸味を帯びた弧線かたどられ、筆あとをみせないように薄墨塗られる。皴はひかえめで線を主体として施され濃墨によって点苔羊歯アクセントとして付されている。崖や岩にまつわる波の線もゆったりとわだかまっており、全体柔らかみが保たれた図となっている。彩色観音肉身化仏装身具水瓶現状では黄色にみえる色彩柳枝竹葉岩陰藍色認めることができる。
 画面向かって右端に応仁二年(一四六八六月能阿弥七十二歳のときに、子息である周健喝食のために泉涌寺の子院、妙厳院において図した旨の墨書がある。これによって能阿弥生年応仁四年(一三九七)とわかる。没年は『大乗院寺社雑事記』によって、文明三年一四七一)八月であることが知られている。本図描かれ時期応仁大乱のさ中であり、能阿弥泉涌寺に乱を逃がれていたのであろうか。
 能阿弥足利義教義政仕えた同朋衆史料上の初出永享三年一四三一)に聖衆来迎寺六道絵修理あたった事歴である。能阿弥表具師としての技術をもっていたが、絵画についての豊富な知識をもとに絵画鑑定にも長じ、さらに連歌にもすぐれ、康正三年一四五七四月には祖阿のあとをついで連歌宗匠についた
 本図祖師図三幅対をなしていたもの中幅とされる。図の豊かな雲烟描写にはすでに阿弥派特色現れており、阿弥派体の水墨画伝統能阿弥にもとづくことを物語っている。



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