第5篇
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「エミール (ルソー)」の記事における「第5篇」の解説
第5篇で、ルソーはエミールの将来の妻であるソフィーの教育に目を向けている。 ルソーは、有名な一節で男性と女性の固有の違いを説明することから、理想的な女性であるソフィーの教育の解説を始める。 それらに共通していることは、それらは等しいということである。それらが異なる場合、それらは比較できない。完璧な女性と完璧な男性は、見た目以上にお互いに似ているべきではなく、完璧さは多かれ少なかれ影響を受けません。男女の連合では、それぞれが共通の目的に等しく貢献するが、同じ方法ではない。この多様性から、男女の道徳的関係に最初に割り当て可能な違いが生じます。
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第5篇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 15:06 UTC 版)
第5篇は財政学や経済政策論にあたる。第4篇までの議論によって、国家の不適切な介入を峻拒したスミスが、国家の役割について扱ったのが本篇である。前半で国家経費論が論じられ、後半が国家収入論で、租税や公債が論じられる。 スミスは国家の役割を国防、司法、公共事業の3点に絞った。こうした国家論をフェルディナント・ラッサールは夜警国家と批判したが、この批判は失当である。また、20世紀末に新自由主義が台頭すると、小さな政府の権威付けにスミスが担ぎ出されるようになった。しかし、第5篇においてスミスが論じる国家の役割は決して小さなものではなく、そのコストも安価なものではない。 まずスミスは国防について、野蛮な国々の脅威から文明国を守るためには、規律や練度の点で民兵組織よりも常備軍が適切であることを説いているが、それはそのコストを国民が負担することをも意味する。次に司法については、国家が担当するとしつつ、権力分立の考えに則って、行政権から分けるべきとした。最後に公共事業については、インフラストラクチャー整備のための公共工事のほか、教育が含まれる。スミスはオックスフォード大学在学中に失望した記憶から、高等教育においては各教授がより良い授業を提供し、学生を多く獲得できるように競争すべきと考えた。しかし、分業には負の側面があることに踏み込み、分業の細分化された作業に従事する一般民衆は愚昧になる危険を抱えている一方、教育のための時間や費用を自己で捻出するのが難しいと判断したのである。 スミスは、このように国家の3つの役割を規定し、これに主権者の威厳を保つための費用を加えたものを歳出とし、その財源について論じた。スミスは国有地などの国家独自の収入源を増やすことは、民間の土地などを減らすことになるとして否定的であった。スミスが推すのは租税であり、租税の4原則に照らして様々な税を検討した上で、地代税と奢侈品税を他の税目よりも評価した。最後に、公債や貨幣改悪も有害なものと位置付け、特に戦争を理由とする公債発行には強く否定的であった。 スミスは第5篇で再びアメリカ植民地に言及し、植民地を手放すことを示唆しつつ、『国富論』を締めくくった。
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