司法について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 07:32 UTC 版)
「トーマス・ジェファーソン」の記事における「司法について」の解説
ジェファーソンは弁護士として鍛えられていたので、才分ある書き手だったが、話や弁護は下手で、法廷でも決して巧くはいかなかった。ジェファーソンは判事は専門分野のスペシャリストであるべきだが、政策に身を据えるべきではないと考えた。1803年の「マーベリー対マディソン事件」に関する最高裁判所判決が民主主義に対する侵犯であると非難したが、それを覆すための憲法修正を提案する連邦議会を十分に支持しなかった。違憲審査制の原理には反対を続け、次のように記した。 憲法に関するあらゆる疑念を究極的に判断する者としての判事を考えることは、実に大変危険な原理であり、われわれをして寡頭政治の独裁下におくようなものである。我々の判事は他の者と同じくらい正直であり、それ以上ではない。彼らは他の者と同じくらい党派、権力およびその所属団体の特権について熱情がある。かれらの金言は「良い裁判官は広い司法権である」(boni judicis est ampliare jurisdictionem) であり、彼らの権力は、彼らが終生その職にあり、選出されることで統制される他の役人よりも責任が無いことでより危険なものになる。憲法は、どのように信頼できるものであっても、時の経過と党派によって、その成員が暴君にもなりうることが分かっていて、そのような単一の裁判所を作ったのではない。あらゆる府が互いの中で共に平等であり主権を持ち合うよう賢明に作られたものである。
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