第二二潜水隊とは? わかりやすく解説

第二二潜水隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/01 17:56 UTC 版)

栢原保親」の記事における「第二二潜水隊」の解説

1944年昭和19年1月31日、栢原は第二二潜水隊司令補され、再び海上赴く。この部隊第六艦隊高木武雄司令長官)に直属し新海大型海大七型)潜水艦構成されていた。この艦種1943年から翌年にかけて竣工した新鋭艦で、急速潜航時短縮を実現していた。しかし、栢原の前任司令であった前島寿英(海兵48期海大30期)は「伊181」に同乗戦死していた。栢原着任時の第二二潜水隊所属潜水艦は「伊177」、「伊180」、「伊184」、「伊185」である。2月17日連合国トラック島空襲行い連合艦隊一大根拠地であったトラック壊滅的打撃受けた日本にあった栢原麾下の3隻は北東方面部隊編入され、「伊177」(折田善次、渡辺正樹潜水艦長)、「伊180」(藤田秀範潜水艦長)、「伊184」(力久松潜水艦長)はアリューシャンでの作戦行動に移るが、「伊180」は4月27日撃沈された。「伊185」(関戸好密潜水艦長)は南方にあり、栢原着任後にグリーン諸島防衛にあたる陸戦隊指揮官和田久馬大尉)の輸送、イボギ(ニューブリテン島)への輸送成功しブカでは失敗している。「伊185」は電池火災ジャイロ故障見舞われ修理のため日本帰還した。栢原は3月15日以降第六艦隊司令部附を兼任し、第二二潜水隊には「伊183」(佐伯卓潜水艦長)が増強されるが、同艦は南方への進出のため豊後水道出撃したその夜に米潜水艦ポーギー」によって撃沈された。 この頃日本絶対国防圏策定し中部太平洋要地であるサイパン島中部太平洋方面艦隊南雲忠一司令長官)、陸軍第三十一軍(小畑英良軍司令官)を配備してその防備固め海上決戦として「あ号作戦」を準備し小澤治三郎率い第三艦隊角田覚治率い第一航空艦隊らを決戦兵力として整備していた。6月11日、米機動部隊マリアナ諸島空襲を、15日にはサイパン島の上陸を開始した同日大本営は「あ号作戦」を発動する。この時、栢原麾下健在な伊184」は南方輸送従事していた。「伊184」にはグアム付近への進出命じられたが、6月19日護衛空母スワニー」の艦載機によって撃沈された。栢原は「伊185」(荒井潜水艦長)に乗艦し、ウェワクへの物資輸送のため6月10日に呉を出港したばかりであった。「伊185」は独断サイパン島向かったが、15日2230分に発した電信最後に消息を絶つ。「伊185」は6月22日に、米駆逐艦ニューコム」、掃海駆逐艦チャンドラー英語版)」によるソナー探知爆雷攻撃によってサイパン島北西撃沈されたのであった。第二二潜水隊で最後まで健在であった伊177」は「あ号作戦発動時は北方にあった。第二二潜水隊は8月10日をもって解隊となり、第三潜水隊編入された同艦も米駆逐艦サミュエル・S・マイルス英語版)」のヘッジホッグによって10月3日撃沈された。

※この「第二二潜水隊」の解説は、「栢原保親」の解説の一部です。
「第二二潜水隊」を含む「栢原保親」の記事については、「栢原保親」の概要を参照ください。

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