第二京浜ガス爆発事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 23:30 UTC 版)
1963年11月6日夜9時40分ごろ、町内を走る第二京浜国道の工事中、作業の手違いで深さ約1.7mを通る直径30cmの水道管を破損。溢れた水により、下を走る国鉄東海道貨物線(現在の横須賀線)に向かって、擁壁が長さ56メートル・幅2メートル、高さ7メートル、7800立方メートルの規模で崩落した。さらに、水道管の下を通っていた、東京ガス鶴見工場から平沼整圧所に通じるガス管も破損し、爆発・炎上した。現場付近の東海道本線を走行中だった急行「筑紫・ぶんご」は現場の約100m手前で緊急停止し難を逃れた。横浜市消防局は付近の建物に放水し延焼防止を図ったが、火元への直接の消火を行わず、配管内のガスが燃え尽きるのを待った。未燃焼のガスが周囲に漂うことによる二次火災や、当時の都市ガスには一酸化炭素が含まれ有毒であるためガス中毒の危険を避けるための措置であり、これは同年1月に東京・深川で6人が死亡した爆発事故の教訓によるものである。ガスの供給停止の手配がとられ、同夜11時50分ごろに鎮火した。神奈川区・西区では最大18000戸が停電した。東海道貨物線に並行する東海道本線、京浜東北線と京急本線は深夜1時ごろまで運転を見合わせ、バスでの代行輸送が行われたほか、横浜市電も横浜駅と新子安の間で運行時間を延長し帰宅客の輸送にあたった。混乱は翌日昼過ぎまで続いた。この事故による、住民や列車の乗客の死傷者は出なかった。
※この「第二京浜ガス爆発事故」の解説は、「桐畑」の解説の一部です。
「第二京浜ガス爆発事故」を含む「桐畑」の記事については、「桐畑」の概要を参照ください。
- 第二京浜ガス爆発事故のページへのリンク