競技車両としての資質
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/02 04:47 UTC 版)
「フィアット・X1/9」の記事における「競技車両としての資質」の解説
世間一般には大衆車、リーズナブルなミッドシップマシンとして知られているX1/9だが、フィアット・アバルトX1/9プロトーティポの開発リーダーであり、これをベースに世界ラリー選手権(WRC)へ挑んだジョルジョ・ピアンタは「フィアットは速すぎるので作るのを止めてしまった」と語っている。 特筆すべきはそのサスペンションである。「これきしのパワーの車に、なぜこのようなすばらしい“足”が必要なのかと疑いたくなる」と言われるように、平凡なストラット式ではあるもののリアのVの字に開いたロアウィッシュボーンアームは極めて強靱であった。のちの競技モデルでもサス・アームを軽量化することはあっても構造の変更には至らず、アンチロールバーの追加程度に留まっている。 プロジェクトを取り巻く人物が、かつてランボルギーニ・ミウラやランチア・ストラトスの開発に携わったメンバーであることが、X1/9をここまでレーシーに生んでしまった原因であると考えられている。当時のフィアットはX1/9が大衆車128ファミリーの仲間であることを強調し、競技車両としての資質はなるべく隠された。ガンディーニによる優れたパッケージングは、単なるミッドシップ2シーターとしては異例に荷物が積める実用的スポーツカーとなり、850スパイダーに負けず大ヒットした。 ダラーラモデルは1,400万リラ(当時の日本円で600万円相当)で各国のレーシングドライバーに好評を博し、イタリア国内のヒルクライムではすべてにおいてクラス優勝。BMW、ポルシェなどと混走するグループ5でも健闘し好戦績を残した。 WRCへ向けたアバルトX1/9プロトーティポのプロジェクトは、1973年から1974年にかけて巻き起こったオイルショックの余波による過度の不景気及びフィアットの販売政策のために中止されたが、20秒以内で200 km/hに達する加速性能は131ラリーよりも高いものだった。のちにシャルドネカラーのストラトスを駆ってツール・ド・コルスを6勝するベルナール・ダルニッシュは、イタリア・フランスの国内ラリーにおいてX1/9プロトーティポで何度も優勝していた事はあまり知られていない。1970年代のイタリア人ラリーストであるダリオ・チュラートも、「ストラトスと比べてX1/9プロトーティポのほうが扱いやすく正確にコーナリングできる」とのコメントを残している。 オリジナルではEC仕様で75 PSという非力なエンジンだが、ダラーラの協力のもとフィアット・128でレース活動を行っていたスクーデリア・フィリピネッティのマイク・パークス(Mike Parkes)は機械式インジェクションとDOHCヘッドを搭載し、190 PSというオリジナルの2倍以上にまでチューンアップしている。この仕様は1973年という早期にGr.4エントリーという形で世に出たが、それまでのフィアットとの友好な関係によりまっさらなボディを入手できたためである。また、オーストラリアのプライベートチューナーは1300ユニットにウェーバーDCOEツインキャブレターという組み合わせで、225 km/hという速度記録を立てた。
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