移動と姿勢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 21:14 UTC 版)
20世紀半ばのスピノサウルスはディメトロドンのような四足歩行で描かれることが多かった。1970年代半ばから、スピノサウルスは少なくとも一時的に四足歩行を行っていたと考えられるようになり、その背景には比較的頑強な前肢を持つバリオニクスの発見があった。Bailey (1997)では、スピノサウルスの神経棘がコブを支持していた場合に、その重量ゆえにスピノサウルスは四足歩行が多動であると考えられ、新たな復元に繋がった。スピノサウルス科を含む獣脚類は掌が地面を向くように回転させられなかったが、前期ジュラ紀の獣脚類の印象化石に示されるように手を横に置いて休息の姿勢を取ることは可能であった。スピノサウルスが典型的な四足歩行をしていたという仮説はその後支持されなくなったが、生物学的・生理学的な制約から、スピノサウルス科は四足歩行の姿勢でしゃがんでいたのではないかと考えられた。 スピノサウルスの四足歩行の可能性は、2014年にイブラヒムらにより新たな標本が記載された際に復活した。記載された後肢は従来考えられていたよりも遥かに短く、典型的な二足歩行の獣脚類では臀部に重心が位置する一方、新復元のスピノサウルスでは重心は体幹の中心部に置かれた。このためスピノサウルスは二足歩行での移動への適応が乏しく、陸上では無条件的に四足歩行をしていたと提唱された。なお、この研究で使用された復元は、異なるサイズの個体を正しい比率と思われる大きさにスケーリングして外挿してある。 この2014年のイブラヒムの説には指摘や反論も多く唱えられている。以下にその例を示す。 発言者主張出典ケネス・カーペンター かつて竜脚類のディプロドクスは外鼻孔が高い位置にあることから水棲説が唱えられていたが、ディプロドクスの産出した地層には深い水域が広範に存在していた証拠がなく、この説は否定されている。同様に、スピノサウルスの生息していた地域の河川も小規模で、深く見積もっても腰の高さほどの水位しかなかった。 ジョン・ハッチンソン 異なる動物の化石を集めて1個体のキメラを作っても信憑性が低く、注意が必要である。 Serjoscha W. Evers シギルマッササウルスはスピノサウルスと別属である。イブラヒムらによりスピノサウルスに割り当てられた標本はスピノサウルスあるいはシギルマッササウルスのいずれかに割り当てられるべきである。 ドナルド・ヘンダーソン スピノサウルスは陸上移動時にはおそらく二足歩行で行動可能だった。重心は腰の近くに位置しており、スピノサウルスは他の二足歩行の獣脚類と同様に立ち上がることが出来た。 グレゴリー・ポール シギルマッササウルスなど他の北アフリカのスピノサウルス類の化石を誤って盛り込んでおり正確さに欠ける。また、盛り込まれた標本も骨格の各部の比率が明確でない。ただし、実際に後肢が比較的短かった可能性は否めない。 ダレン・ナイシュはイブラヒムによる新復元に肯定的で、自らの著書において、スピノサウルスを三角州や入り江で頻繁に狩りを行う極めて遊泳に長けた恐竜と断定した。また、後肢に水かきが存在した可能性も認めている。
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