移動と通信
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/21 19:47 UTC 版)
「新アッシリア帝国の軍事史」の記事における「移動と通信」の解説
詳細は「新アッシリア帝国における国家通信」を参照 アッシリア帝国の興隆とともに、交通と通信分野において新たな需要が生まれた。新アッシリア帝国が発展する前の時代において、メソポタミア地方における道路は、地元民によって踏み固められた小道に過ぎなかった。しかしながら、次々と起こる反乱の鎮圧のために軍が常に動き回る帝国において、この道路状況は適切なものとは言えなかった。帝国中に道路網を築き、管理・維持したのはアッシリア人が初めてである。規則的に駅を配置し、使者が休息やラバを交替することができる国家通信網が確立された。これらの制度は、やがてペルシア人がこの仕組みを彼ら自身の帝国において広める基礎となっていった。 起伏の多い山々を切り拓いて道路が通され、移動時間が大幅に短縮した。技術者たちは、石で敷き詰めた舗装道路を作った。それは偉大な都市アッシュルとニネヴェへとつながっていき、アッシリアの国力を外国人に見せつけた。紀元前2千年紀には、木製の橋がユーフラテス川に架けられ、紀元前1千年紀までには、ニネヴェとアッシュルには石造りの橋ができ、これらはアッシュルの富の証となる。道路の建設と輸送の増大により、帝国内の広範囲を物資が流通するようになり、アッシリアでは遠方の戦争にも物資の供給が可能になっていった。もっとも、アッシリアの部隊の高速な移動を可能にした道路網は、敵の部隊の移動をもまた、高速化することとなる。
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