社会的ブーム
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「およげ!たいやきくん」の記事における「社会的ブーム」の解説
「およげ!たいやきくん」がヒットした1976年には児童向け楽曲のヒットが連発し、「パタパタママ」、「山口さんちのツトム君」、「志村けんの東村山音頭」などが次々とオリコンチャートの上位にランクインした。 当時の子供向けレコード市場は日本コロムビアのシェアが圧倒的だったが、キャニオンが「およげ!たいやきくん」をヒットさせたことで市場規模自体が拡大し、日本コロムビアの売上も伸びたという。 他には、たい焼き屋に行列ができる、たい焼き用の鉄板が売れるなどの社会的影響があった。また、各種キャラクター商品も発売された。中にスポンジが入ったたいやきくんの塩ビ(ソフビ)人形は大ヒットし、子供だけではなく大人にも売れた。1976年2月20日、サンケイ新聞出版局は絵本『およげ!たいやきくん』を刊行し、初版5万部、累計では公称30万部以上を発行した。一部の地域では曲にちなみ学校給食にたい焼きを出すところも現れた(但し歌詞のように鉄板で焼いたものではなく揚げ物や冷凍食品であったりもした)。 木村拓哉は、『およげ!たいやきくん』のブームでたい焼きの売り上げが伸びているという記事が「サンケイ新聞」夕刊に掲載された際に、駄菓子屋の前でたい焼きを受け取る少年としてその写真が紙面に載ったエピソードがある。 千葉県の銚子電気鉄道では、この曲のヒットにあやかって1976年2月10日から観音駅で、たい焼きの販売を始めたところ大ヒットとなり、人気商品になっている。観音駅のたい焼き屋は施設の老朽化などにより2017年3月末をもって閉店し、同年6月24日に犬吠駅で販売を再開した。 1976年、現ピーター・ブルック・カンパニー土取利行と当時東京芸大大学院生だった坂本龍一は、竹田賢一のプロデュースの元、限定500枚のレコードを制作するが「およげ!たいやきくん」のヒットによりプレス工場(東洋化成)の生産が追いつかず、リリースが半年遅れた。坂本龍一の幻の1stレコーディング作として後に発掘され『ディスアポイントメント - ハテルマ』というタイトルで2005年にCD化されている。 小島豊美によると、「およげ!たいやきくん」は莫大なプレスオーダーをかけたため、当時のキャニオン営業部長の津澤正次の尽力で、東洋化成だけではなく同業他社のCBS・ソニー大井川工場(現・ソニー・ミュージックソリューションズ 大井川プロダクションセンター)などにまで協力を仰いで追加プレスを依頼したという。関東(東日本)と関西(西日本)でブームのピーク時期がずれたおかげで、ほぼ完売することができたと語っている。 山藤章二は『週刊朝日』連載の「山藤章二のブラック=アングル」で、川上哲治が読売ジャイアンツを退団後NHKの野球解説者に就任したことを本楽曲にかけて「およげ!哲治くん」と揶揄した。
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