石部宿までの史跡・見どころとは? わかりやすく解説

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石部宿までの史跡・見どころ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/21 22:27 UTC 版)

水口宿」の記事における「石部宿までの史跡・見どころ」の解説

柏木神社中世柏木庄の鎮守であった中世後期山中・伴・美濃部柏木三家崇敬受けた北脇縄手東海道整備で、曲がりくねった道が直線状に改修された。かつては両側の土手松並木があり、美し景観保たれていた。 柏木公民館東海道記念する鐘楼モニュメントがある。 泉一里塚改め整備されたもので、元は現在地より野洲川よりにあった横田かつては仮橋あるいは船での渡りだった。東海道十三渡し一つ数えられている。目印として1822年万人講によって建てられた高さ10.5mの巨大な常夜燈があり、現在は史跡公園として整備されている(滋賀県指定史跡旧東海道横田渡跡」)。甲賀市湖南市市境あたり。 天保義民の丘天保13年1844年)に過酷な検地に対して一揆近江天保一揆)を起こし処刑され農民たちを称える天保義民之碑」がある。明治31年1898年)に三雲村(現 湖南市三雲)伝芳山建立大砂川トンネル1889年竣工長さ14.5m、内幅4.67mで杉本定吉らが施工。坑門はイギリス積み煉瓦造、アーチリングは石造で尖型迫石有する側壁下部フランス積み切石。 「天井川である大砂川をくぐる石・煉瓦造鉄道トンネルで、川越えの苦労明治鉄道交通近代化などを象徴する貴重な土木遺産」として2019年度土木学会選奨土木遺産認定。 大沙川隧道1877年起工1884年竣工長さ16.4m、内幅4.39m、トンネル高さ4.6m。滋賀県最初道路トンネルで「吉永マンポ」とも呼ばれる切石造のきれいなアーチ断面を持つ。 弘法東海道が下をくぐる天井川沙川堤上にある。幹の周囲6m、樹高26m、樹齢750年程度弘法大師がこの地で昼食をとり、使ったの箸を刺したところ、成長して大杉になった伝えられる。2本並んでいたが、1本は1773年台風倒れた由良谷川隧道1886年竣工長さ16.0m、内幅4.5m、トンネル高さ3.6m。切石造のきれいなアーチ断面を持つ。 北島酒造江戸時代から続く老舗蔵元。針現在の湖南市針。

※この「石部宿までの史跡・見どころ」の解説は、「水口宿」の解説の一部です。
「石部宿までの史跡・見どころ」を含む「水口宿」の記事については、「水口宿」の概要を参照ください。

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