県内私大側の対抗策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 20:45 UTC 版)
「長野県短期大学」の記事における「県内私大側の対抗策」の解説
松商学園・松本大学を中心とした構想見直しを求める運動は2014年に入っても継続しているが、同年ついに積極的な対抗策に打って出る県内私大もあらわれた。長野大学は同年3月、所在地の上田市に対し、同大学を運営する学校法人長野学園を上田市が設置者となる公立大学法人とすることを求める要望書を提出。同法人理事でもある母袋創一市長は「さっそく検討に入りたい」と答え、公立化が本格的に検討されることになった。同大学は要望書内に移行時期の目標を明確には示さなかったものの、島田力夫・長野学園理事長と野原光・長野大学長は「長野大が開学50周年を迎える2016年度に合わせて公立化を実現したい」と表明した。長野大学の公立化は主に学生確保と県内高校卒業生の県内大学進学率の向上を目指すものであるが、2017年度に4年制移行を計画している長野県短期大学に対し、公立化目標年次を2016年度に設定するなど、長野県短期大学の4年制化に対する事実上の対抗策であり、長野大学側が先手を打った形となった。長野大学は1966年、上田市と合併する前の小県郡旧塩田町が全額出資して設立した学校法人により、「本州大学」として創設された公設民営大学であり、その後も地元自治体首長などがその運営について一定の関与を維持していた。長野大学側は既に4年制大学であることから初期投資は不要であり、移行に当たって上田市には財政負担がかからないことなどメリットを主張。キャンパスの整備や学科改組、更にそれらにかかる県予算の確保など課題の多い長野県短期大学に比べ、長野大学が示した移行スケジュールは概ね法人格の変更手続きに関するもののみとなっており、上田市議会の議決を得て長野県が認可すれば直ちに実現することになる。この要望が実現した場合、長野県短期大学の4年制移行より先に公立4年制大学が県内に設立される結果となるため、長野県短期大学の4年制移行構想への影響は必至であるが、阿部知事は3月5日の県議会において長野大学の公立大学法人化構想について「上田市や長野大の考えを十分に把握しておらず、言及できない」・「子どもの数が減る状況にどう立ち向かうかは、私大の大きな課題。県内の高等教育をどうするか、私大と一緒に取り組むことが県にとっても重要」と述べるに留まっている。長野大学はその後、上田市議会での議論などの結果大学の将来像の明確化や財政基盤の確立、改組などが検討され、2017年度からの公立移行が決定した。また2014年4月、諏訪東京理科大学も公立大学法人化する方針を示し、2015年9月には茅野市に対して本学の公立大学法人化を求める要望書を提出した。設置者の学校法人東京理科大学は県立大学化を想定しており、茅野市は県に公立化に向けた協議への参加を求めた。阿部知事は長野県議会9月定例会において、「高等教育の振興を重視する立場から、県としても積極的に協議に参加する」との考えを表明し、公立化の動きに対し積極的な姿勢を示したが、翌10月「県立移行は困難」と述べた。このため学校法人東京理科大学と茅野市は諏訪広域連合(茅野市・諏訪市・岡谷市・下諏訪町・富士見町・原村)による一部事務組合を創設し、学校組合を設置者とする形での公立大学法人化を進め、その運営に関して県に支援を求める方針を示した。諏訪東京理科大学も2018年度から公立(公立諏訪東京理科大学)へ移行した。長野県短期大学の四年制大学化構想を契機に、県内において自治体を巻き込む形での大学改革が俄かに活発化する様相となった。
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