発見と引き揚げ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 04:20 UTC 版)
「ヘンリエッタ・マリー (奴隷船)」の記事における「発見と引き揚げ」の解説
1972年、メル・フィッシャーの Treasure Salvors, Incの子会社が運営するボートによる磁気センサを用いた調査で発見された。最初の捜索では2つの碇と大砲が発見された。1973年に再捜索が行われた。奴隷を縛り付けるビルボー型かせ(英語版)や、鉄枷などの人工物が回収された。この難破船はおそらく宝船ではなく奴隷船だと気づき、船体や回収物を元の場所へ戻した。フィッシャーの会社の下請けをしていたヘンリー・テイラーは、1983年から1985年にかけて、このEnglish wreckと呼ばれていた難破船を考古学者デイビッド・ムーアの助けを借りて発掘した。発見された青銅製の号鐘にThe Henrietta Marie 1699と刻まれていたことから、船名が確認された。沈没現場の調査と発掘が、間隔を開けながら継続的に行われている。 この船からは奴隷船としては最大の7000以上の遺物(および30,000以上のガラスビーズ)が見つかっている。これらは奴隷船や奴隷貿易を理解するのに非常に役立つものである。80個以上のビルボー型かせを構成する部品が沈没現場で発見された。通常2人の奴隷をつなぐ為、160人以上の奴隷を拘束していたと思われる。明らかにアフリカで行われた捕虜の取引と共に得たであろう象牙を含む交易品や、船の機材、乗組員の日用品なども発掘された。竜骨の大半や船尾材を含む船体の一部は現存しており、測定後に現場へ戻されている。 沈没現場で見つかった2つの銅製の大釜は、航海上の乗組員や奴隷の食事に光を当てるものである。コーリー・マルコム(Corey Malcom)は、2つあるのは乗組員の食事と奴隷の食事を別々に調理するためであると主張している。一つの大釜は、容積1.5立方ヤードで区分けがなかった。この釜は奴隷用のマッシュまたはオートミールの重湯のようなものを調理するのに使われたと思われる。難破時点では奴隷が乗船していなかったため、大釜は、鎖の保管に使用されていた。2つ目の釜は小ぶりで、1立方フィートと1.5立方フィート容積で2つに仕切られていた。この釜は乗組員のための2通りの食事を調理するために使用されていた可能性がある。
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