発見と指定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 08:28 UTC 版)
この湿原の発見と保護に大きな役割を演じたのは安井直康(やすいなおやす 1899-1985)である。発見当時、四日市市立高等女学校の教諭であった安井は昭和15年(1940)6月23日に三重村山野での植物踏査の際に御池沼沢に立ち寄り、ちょうど満開であったノハナショウブ群落に感動したらしい。ここから安井はこの沼沢の植物群落の研究に手をかけ、その年の7月、9月の調査でこれが県下随一の貴重なものであると確認した。それから10年後、昭和25年(1950)に安井は再びこの地で詳細な調査を行い、その結果を県教育委員会に伝え、県から調査会臨時委員の任命を受けた。安井はさらに詳細な調査を行い、指定地の決定や測量業務、写真撮影をも行い、各関係者の協力を得て調査報告書を作成、県に提出した。これに基づいて同年2月28日付でこの群落は三重県の文化財として仮指定を受けた。また翌年(1951)には国の文化財調査委員の一人である国立科学博物館の中井猛之進博士が現地調査に入り、昭和27年(1952)に国の天然記念物に指定されるに到った。
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