発見と標本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/03/08 21:23 UTC 版)
「オピストコエリカウディア」の記事における「発見と標本」の解説
ホロタイプ標本(標本番号ZPAL MgD-I/48)は頭骨と頸椎を欠くものの完全に近い骨格である。 この化石はモンゴル南部、ウムヌゴビ県にあるAltan Ula IVで発見された。この場所はネメグト盆地にある3つの累層のうち最も新しい時代のものであるネメグト累層(en)に属している。Altan Ula IVは有名な脊椎動物化石の宝庫であり、他に重要な恐竜の化石としてトロオドン科のボロゴヴィア、曲竜類のタルキアなどが発見されている。標本は老齢な個体のものであった。発見時、椎骨はおおむね関節状態で、胴椎8個、仙椎6個、尾椎34個で構成されていた。1連の椎骨から孤立した3個の椎骨が見つかっており、これは頸椎と胴椎の遷移領域のものとみられる。これらの化石は死体の元々の解剖学的な位置からやや外側にずれていた。 タイプ標本とともにBorsuk-Białynickaは同じ場所で発見された肩甲骨と烏口骨(ZPAL MgD-I/25c)を記載している。これらの骨は互いに癒合しておらず幼若な個体のものとみられる。2003年、フィリップ・カーリー( en)らは断片的な尾である標本(MPD 100/406)についてもオピストコエリカウディアのものであると言及している。この尾の化石が発見されたネメグト周辺からはティタノサウルス類のネメグトサウルスの頭骨も発見されている タイプ標本は1965年6月10日から23日に行われたポーランド-モンゴル共同調査の中で地質学者Riszard Gradzinskiにより発見された。起伏の多い地形での標本を搬出するには様々な技術的問題が起こった。化石は非常に硬い砂岩に埋没していて、トラックが使えない場所だったので骨を含む大きな岩のブロックを580 mもそりで移動しなければならなかった。これらのブロックは総計で12 tに及んだ。7月9日、化石は35個の塊はダルンザドガドへと送り出された。塊の多くは重量1 tを超えていた。現在、これらの標本はウランバートルにあるモンゴル科学アカデミー(en)地質学研究所に収蔵されている。 タイプ種Opisthocoelicaudia skarzynskiiは1977年、ポーランドの古生物学者Maria Magdalena Borsuk-Białynickaにより命名、記載された。属名は(古代ギリシャ語で「後」を意味するοπισθή( opisthe)と「空洞」を意味するκοιλος(koilos)、ラテン語で「尾」を意味するcaudaから派生していて)独特の尾椎の状態に由来し、種小名 skarzynskii は骨格のプレパレーターであるWojciech Skarżyńskiに献名されたものである
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