発見と歴史上の観測記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 11:06 UTC 版)
「クロイツ群」の記事における「発見と歴史上の観測記録」の解説
軌道が太陽の極めて近くを通ることが最初に分かったのは1680年の大彗星だった。この彗星の近日点距離はわずか 90万 km = 0.006 AU = 1.3 太陽半径だった。つまり、太陽の表面から 20万 km = 0.0013 AU = 0.3 太陽半径のところを通過したことになる。これは地球から月までの距離のおよそ半分に等しい。この彗星はこうして初めて確認されたサングレーザーとなった。 この彗星から見ると、太陽が天空を占める角度は80°以上に達し、地球から見たときよりも27,000倍以上大きくかつ明るくなり、彗星の表面の1平方メートルあたり37メガワットの熱量が届いたことになる。 エドモンド・ハレーを含む当時の天文学者は、この彗星は1106年に太陽の近くで非常に明るく見えた彗星が戻ってきたものだと考えた。163年後、1843年の大彗星が現れ同様に太陽の至近距離を通過していった。軌道を計算してみると軌道周期は数百年という結果が出たが、天文学者の中にはこれは1680年の彗星が戻ってきたものではないかと考えるものもいた。1880年に出現した明るい彗星は1843年の彗星とほとんど同一の軌道を周っていることが分かり、1882年の大彗星がさらにそれに続いた。天文学者の中には、これらの彗星は全て同一の彗星であり、軌道周期がどういうわけか近日点通過のたびに劇的に縮められていて、それは太陽を取り囲んでいる密度の高い物質によって減速されているためではないかという説を提案する者もいた。 もう一つの説は、これらは全て昔のサングレーザーの破片だというものであった。この説は1880年に初めて提出され、その信頼性は1882年の大彗星が近日点通過後にいくつかの破片に分裂したことで十分に実証された。1888年には、1843年、1880年、1882年の彗星はおそらく数回帰前に分裂した一つの巨大彗星の破片だろうということを示す論文をハインリッヒ・クロイツが発表した。1680年の彗星はこの彗星の集団とは無関係であることが立証された。 クロイツ群に属する別の彗星が1887年に現れてから、次の彗星は1945年まで現れなかった。1960年代にはさらに、1963年のペレイラ彗星と、1965年に非常に明るくなり近日点通過後に3つに分裂した池谷・関彗星という2つのサングレーザーが現れた。クロイツ群に属する2つの彗星が間髪を入れず連続して現れたことで、この群の歴史のさらなる研究が刺激された。
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