発見と流行
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5筋の歩を角で交換する急戦矢倉という構想自体は以前から存在し、2二に引く形からの急戦の前例としては中原誠が得意とした中原流と呼ばれる指し方があり、米長流急戦矢倉と共にかつて猛威を振るった(ただし中原流は△6四歩から△6三銀とし、中央から盛り上がっていく)。その後、△6四歩を突かず角を7三に引く余地を残した指し方が登場し、郷田真隆が得意としたため郷田流とも呼ばれたことがある。七冠達成を巡り羽生善治と谷川浩司が争ったタイトル戦でも頻出したが、その後、居飛車党が後手番で矢倉戦を敬遠する傾向が強まり、本戦型も見られなくなっていった。 矢倉中飛車と同様に、矢倉の5手目問題における重要なテーマであり、羽生善治が『将棋世界』において長期に亘り連載した『変わりゆく現代将棋』においても、本戦法の変化は深く掘り下げて検討がなされている。しかし、『変わりゆく現代将棋』以降、本戦法について目立った動きがない時期が続いていた。
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発見と流行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/23 20:12 UTC 版)
実在しない町「アーグルトン」に気づいて最初に反応したのは、オートンの隣町オームスカーク(英語版)でウェブサービス会社の社長を務めるマイク・ノーラン(Mike Nolan)であった。ノーランは2008年9月、インターネット上で実在するかのように振る舞う「幽霊集落」のことを自身のブログに書き込んだ。 2009年はじめ、ノーランの同僚であるロイ・ベイフィールド(Roy Bayfield)によって詳しい調査が試みられた。特別な何かがあるのかどうかグーグル・マップが指し示す位置を実際に歩いたベイフィールドは、マジックリアリズムや心理地理学(英語版)において現実と虚構が混交する「架空の土地」を引き合いに出しながら、「アーグルトン」は「一見普通だった」(deceptively normal)と自身のブログに報告した。「アーグルトン」の発見と探索をめぐる物語は、まず地元のメディアによって取り上げられた。 2009年11月には「Googleマップには存在するが、現実には存在しない町」が世界中のメディアの注目を集めるようになり、インターネット上でも大きな流行を呼んだ。Googleにおける"Argleton"の検索結果は、2009年11月4日現在で25,000件、同年12月23日には249,000件にまで増加した。Twitterでも"Argleton"はよく使われるハッシュタグとなった。「アーグルトンでこのTシャツを買ってきた」とか「ニューヨーク、パリ、アーグルトン」であるとかいった文字をプリントした商品を販売するサイトも登場した。argleton.comというドメインを取得した人々は、以下のようなメッセージを記している。 「 一体何を言ってるんだ? アーグルトンの住民はここにいる、今ここに!(What the hell are they talking about? We, the good citizens of Argleton do exist. Here we are now!) 」
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