発見と発掘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/28 22:20 UTC 版)
「パンドラ (帆走フリゲート)」の記事における「発見と発掘」の解説
「パンドラ」の残骸は1977年に発見され、直ちにオーストラリアの「歴史的難破船法(1976年)」(Historic Shipwrecks Act 1976)で規定する保護区域と宣言された。それは珊瑚海の端、グレート・バリア・リーフの外側にあるモールター・ケイの北西約5km、ヨーク岬の東約140kmの位置にある。クイーンズランド博物館は、研究調査のために残骸を発掘し続けている。熱帯クイーンズランド博物館の考古学者と歴史家は、考古学的証拠と現存している歴史的証拠を使用して「パンドラ」遭難の経緯を少しずつ組み立てようとしている。博物館には発掘品の大コレクションが展示されている。 1980年代から1990年代にかけての9シーズンの発掘により、海洋考古学者は船殻のおよそ30%が、程度の差こそあれ、構造を保っていると確認した。船は、穏やかに傾斜した砂地の海底30-33mの間の深さでわずかに右に傾いて停止しており、そのため、右舷の方が左舷よりよく保存されている。残骸を覆っている堆積物のおよそ3分の1が現在までにクイーンズランド博物館によって除去され、残りはおよそ350立方米に達すると見積られている。 博物館の方針や財政的事情により、これ以上の発掘計画は予定されていない。しかし、仮にクイーンズランド博物館が発掘を続けるとすれば、残骸の船首部、特にパンドラの設計では各職種の下士官用の倉庫が最下層甲板に設置されている部分をまず優先的におこなうことになるだろう。前部貯蔵室には、一般の水兵や船匠・掌帆長などの専門的な乗員の持ち物に加え、「パンドラ」が「バウンティ」を奪還後、その修理に必要とする予備の材料や装具が置かれていたと考えられている。
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