古墳の発見と発掘の経過
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/29 01:09 UTC 版)
1968年、恵泉女学園園芸短期大学の建設工事中、古墳の石室が発見されたことにより埒免古墳は発見された。古墳の石室から出土した遺物は、工事中に偶然発見されたこともあり、工事関係者に持ち出されてしまったが、比々多神社宮司の努力により銀装の装飾大刀と考えられる直刀、刀子、金銅製馬具、鏡、鉄鏃、琥珀製棗玉などが回収され、現在は比々多神社にある三ノ宮郷土博物館に収蔵されている。しかし散逸してしまった出土品もあると考えられる。 その後埒免古墳の石室は、恵泉女学園園芸短期大学伊勢原キャンパスの庭園の一部とされ、保存が図られていたが、古墳の詳細については不明のままであった。1994年、古墳石室とその周辺の実測が行われ、2001年から2002年にかけて恵泉女学園園芸短期大学構内の工事に伴い、古墳墳丘周辺の発掘が行われた。そして2002年には石室内の実測と調査が行われた。これらの調査の結果、埒免古墳は古墳が造営されたと考えられる600年前後では、相模国で最大級の古墳であることが判明した。
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