古墳の規模と埋葬施設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 09:52 UTC 版)
「龍角寺岩屋古墳」の記事における「古墳の規模と埋葬施設」の解説
岩屋古墳は測量の結果によれば一辺約78メートル、高さ約13.2メートルの方墳で、墳丘は三段築成されていて、一段目と二段目が低く三段目が高くなっている。墳丘周囲には南側を除く三方に約3メートルの周溝がめぐり、周溝の外側には外堤が見られる。これらを含めると全体規模は110メートル四方に達する。また2008年に行われた測量調査により、墳丘南側の谷側から墳丘に向かって、斜路が作られていたことが判明した。 埋葬施設である横穴式石室は墳丘の南側の裾部中央に2つあり、ともに羨道をもたない両袖式の玄室だけの構造である。東側の石室は長さ約6.5メートル、幅2メートル強、西側は4.2メートルである。石室は両石室とも木下貝層と呼ばれる印旛沼近郊の狭い範囲に露出する貝の化石を含む砂岩で築造されている。軟らかい石材であることもあって、長さ60~100センチ、幅30センチくらいに切った石を煉瓦を積むように互い違いに積み上げている。また石室内で棺を置いたと思われる場所には、浅間山古墳の横穴式石室で用いられた茨城県筑波山近郊で産出される片岩を使用している。龍角寺古墳群で岩屋古墳以降に築造されたみそ岩屋古墳などの方墳では片岩は用いられることがなく、貝の化石を含んだ砂岩のみが用いられることからも、古墳の築造順は浅間山古墳、岩屋古墳、岩屋古墳以外の方墳という順序であったことが推定できる。 岩屋古墳の横穴式石室は、古文書の内容から1591年(天正19年)にはすでに開口していたと考えられており、開口していた石室をめぐって椀貸伝説が伝えられるなど、民間信仰の対象となっていた。古くから石室が開口していたことと、本格的な発掘調査がまだ行われていないため、岩屋古墳からはこれまでのところ副葬品は全く出土していない。
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