発見と研究の黄金期
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1928年9月3日のフレミングによるペニシリンの発見は一つの失敗を機に成されたものであり、セレンディピティとしても知られる。フレミングは休日を終えて当時の職場であるセント・メアリーズ病院に出勤し、実験台で培養していたペトリ皿のブドウ球菌にカビがコンタミしていることに気づく。この時、フレミングはコンタミしたカビが周囲の細菌の増殖を抑制している様子を観察し、この増殖抑制がアオカビの産生する物質によるものであることと、その物質をペニシリンと名付けたことを論文として投稿した。その後オックスフォード大学のハワード・フローリーとエルンスト・ボリス・チェーンらの研究により大量生産が可能になると、フローリーらはペニシリンの臨床試験を1941年から1942年にかけて実施する。この臨床試験でペニシリンはなんら副作用を示さずに絶大な効果を発揮した。ペニシリンは第二次世界大戦後には広く使われる様になり、1945年にはフレミング、フローリー、チェーンの3名がペニシリンの発見とその後の研究によってノーベル生理学・医学賞を受賞している。 サルバルサン、プロントジル、ペニシリンの3つの抗菌薬の発見はその後の抗菌薬の開発研究に大きな影響を与え、1950年代から1970年代にかけて抗生物質研究は黄金期を迎える。1930年代の終わりにはセルマン・ワクスマンが抗生物質の探索を開始する。1940年代に抗生物質を定義したワクスマンは、結核に有効なネオマイシンやストレプトマイシンなど多数の抗生物質を発見し、その貢献に対して1952年にはノーベル生理学・医学賞が授与された。 この時代の抗生物質の発見は土壌のスクリーニングを行って有用な微生物を発見することによって成し遂げられた。そのため、この時代の製薬会社は世界中から土壌試料を集めて回っている。例えばエリスロマイシンを産生する放線菌は、イーライリリー・アンド・カンパニーが雇っていたフィリピンの医師が1949年に庭で発見したものである。放線菌は抗生物質を産生する主要な微生物として知られ、1945年から1978年までの間に発見された抗生物質のうち55%は放線菌に由来するものである。この時代に発見・開発された新しい系統の抗生物質・合成抗菌剤としてアミノ配糖体、セファロスポリン、クロラムフェニコール、テトラサイクリン、マクロマイド、キノロン、トリメトプリムなどが挙げられる。抗生物質開発の黄金期を迎えた研究者の中には感染症の克服を期待した者もいたが、それ以降、新しい系統の抗生物質の発見はほとんどなく、一方で1990年代頃から新興感染症や薬物耐性の問題は大きくなっていった。
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