発見と法的争い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/07 07:10 UTC 版)
「ヌエストラ・セニョーラ・デ・アトーチャ」の記事における「発見と法的争い」の解説
アメリカのトレジャーハンターメル・フィッシャーと下請業者のチームは合弁事業や投資家などの出資を受けてアトーチャを求め、 海底を16年半に渡って捜索した。フィッシャーは1980年に同時に難破したサンタ・マルガリータの積み荷を発見した。彼はこの発見を、危険なプロフェッショナルダイビングの仕事であるにも関わらず、船が発見されない限り最低賃金であるという事実を前に中止を考慮していた何人かの協力者に提示した。ついに1985年7月、アトーチャの残骸と銀、金、エメラルドが発見された。メルの息子ケインがサルベージ船ドーントレスからフロリダ沿岸の本部へ無線で発見を伝えた。専門家は、金と良質のムソー鉱山のエメラルドの殆どがある船の一部である船尾楼が、未発見であると見なしている。これらおよび他の貴重品は、後部の船長室に保管されていたと思われる。 引き揚げられた金貨と銀貨は、主に1598年から1621年の間に鋳造されたものであるが、鋳造年月日は広範囲に及び、中には16世紀に遡るものもある。多くの日付と時代のタイプは珍しいものか、引き揚げ前には知られていないものであった。 発見後、フロリダ州はこの船に関する権利を主張し、フィッシャーは財宝の25%を支払うという契約を結ばされた。フィッシャーは訴訟を起こし、8年後の1982年7月1日に、アメリカ合衆国最高裁判所は、フィッシャーに有利な判決を下した。フィッシャーは1998年12月19日に死亡した。 2011年6月には、メル・フィッシャー・トレジャー財団のダイバーがキーウェストから35マイル離れた場所から、2つの銀のスプーンやその他の工芸品と一緒にスペインの難破船の物と思われる骨董品のエメラルドの指輪を発見した。その指輪は50万ドルの価値があると推定された。
※この「発見と法的争い」の解説は、「ヌエストラ・セニョーラ・デ・アトーチャ」の解説の一部です。
「発見と法的争い」を含む「ヌエストラ・セニョーラ・デ・アトーチャ」の記事については、「ヌエストラ・セニョーラ・デ・アトーチャ」の概要を参照ください。
- 発見と法的争いのページへのリンク