独立後の詩
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ウィリアム・カレン・ブライアント(1794年 - 1878年)が独立したアメリカ合衆国では初めての重要な詩人であり、その偉大な貢献はプレーリーや森林の雄大さについて熱狂的な詩を書いたことだった。その他19世紀初期から半ばまでに現れた著名な詩人としては、ラルフ・ウォルドー・エマソン(1803年 - 1882年)、ヘンリー・ワーズワース・ロングフェロー(1807年 - 1882年)、ジョン・グリーンリーフ・ホイッティア(1807年 - 1892年)、エドガー・アラン・ポー(1809年 - 1849年)、オリバー・ウェンデル・ホームズ(1809年 - 1894年)、ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(1817年 - 1862年)、ジェイムズ・ラッセル・ローウェル(1819年 - 1891年)およびシドニー・ラニエ(1842年 -1881年)がいた。この時期から予測されるようにこれら詩人の作品は、当時のイギリスの詩人の作品とは区別できるようなはっきりとしたアメリカ人の考えを共通して求めたことで結び付けられている。その目的のために彼らの詩の材料として生まれた国の景色や伝統を探索した。 この傾向の最も重要な例はロングフェローによる『ハイアワサの歌』(The Song of Hiawatha)であろう。この詩は、1836年から1841年までミシガン州のインディアン問題監督官を務めたヘンリー・ロー・スクールクラフト(1793年 - 1864年)が集めたインディアンの物語を使っている。ロングフェローは恐らくイギリスの詩形を避けるために、フィンランドの叙事詩カレワラの韻律の模倣もした。その結果としての詩は大衆には受けたが、アメリカの詩の将来へのモデルとはならなかった。 これらの詩人を同時代のイギリス詩人と区別させたもう一つの要素は、詩人で哲学者のエマーソンやソローの超越論的哲学の影響だった。この超越論的哲学の影響はウィリアム・ワーズワースやサミュエル・テイラー・コールリッジに始まるイギリスのロマン派に連なるものであり、明瞭にアメリカ的な特徴である。疑いも無く超越論的哲学の設立者であるエマーソンは、若い時にイギリスを訪れてこれら2人のイギリス詩人や、評論家にして歴史家のトーマス・カーライルと出会っていた。ロマン派が改革後のイングランドでヴィクトリアニズムに変遷する一方で、アメリカでは1830年代から南北戦争にかけての時期により活力のあるものに成長した。 エドガー・アラン・ポーはこの時期にアメリカの外で最も認められたアメリカ詩人だった。フランス、スウェーデンおよびロシアの様々な作家がポーの作品に大きな影響を受け、その詩『大鴉』(The Raven)はヨーロッパを席捲し、多くの言語に翻訳された。20世紀のアメリカ詩人ウィリアム・カルロス・ウィリアムズ(1883年 - 1963年)はポーについて、アメリカの詩が固定された唯一の堅い地盤だと語った。
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