特許制度と「車輪の再発明」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/07 20:57 UTC 版)
「車輪の再発明」の記事における「特許制度と「車輪の再発明」」の解説
特許制度というものが広まってからは、大抵の国で、ひとつひとつの発明に登録番号が振られ、個々の発明を検索し、その内容も閲覧することができるようになったので、何かの機能を実現する機構などを生み出したい場合、既存の特許を分野別、機能別などで検索すれば既存の発明を見つけ出し確認することができ、「車輪の再発明」のような事態を避けられている。 世界的には先願主義が一般的で、その方式が採用されていれば特許は登録されて万人に公開されるので、既存の特許登録をしっかり検索し調査しさえすれば、「車輪の再発明」のような事態を避けられるわけである。 ただし、世界全体では先願主義が一般的で、それにより「車輪の再発明」が防止できていたが、米国は先発明主義を採用していて、アイデアだけ出願した人よりも実際に実験的に実現した人を優先していた。だれの実験が先か後かは個人のノートを参照することもあった。一方で、発明した人物が出願の後で実用化できるまでその発明内容を発表することを留め置くことができた。早すぎる発明は広く実用化できず、金の掛かる先進的な発明をしても実用化技術や市場が発達しない時代では、損をするだけだからであり、発明家が有能な事業家とすぐに出会えるとは限らないからでもある。つまり、時代が熟成して現れる企業の改良発明より、先進的な天才の新発明を保護する方針であったといえるだろう。 反面の効果として、米国で誰かによって発明されたものが、隠されたり時の流れに埋もれ続けて、世界で日々せっかく時間と費用をかけて発明し、自国で特許を認められても、それを製品化し米国でも販売した段階で、突然米国人が特許出願を公開し「それはオレの発明だ」などと言い出す、ということがあり、不安が絶えなかった。これをサブマリン特許という。 世界中の企業や人々が、人生の時間や費用を投入して発明したものが、米国国内では権利上先発明者の独占権に触れる(「車輪の再発明」めいた扱い)ことになり、おまけに米国人は(かなり意図的に)製品の販売台数が増えるのを待っておいてからそれを申し出て、さらに莫大な額の特許料や賠償金を請求される、ということが頻繁に起き続けた。これは米国市場内の話であるが、当時の多くの外国企業にとっては採算上の大きな問題であった。 特許制度というのは、現在の世界中の学者は「有益な発案・技術の公開を促し、世の中に役立てる、同様な技術開発を避ける、その代償として一定期間独占実施の権利を与える」というものだと考えている。昔、あるいは米国、においては「特許制度は、天才の火に利益という油を注いだ」(エイブラハム・リンカーン(米大統領))という言葉のように、個人の才能を保護するという意味もあったといえる。 米国の制度は、発明しても自分ではすぐ事業にする力の無い個人・小企業の発明を保護する制度だったが、それを悪用されているかのように見える派手な事態が20世紀の終わり頃に何度もあった。 しかし、一種の原理の思いつき程度のレベルで実験して成功しても、それが何ら産業史に影響せず、何十年と後になって全く違うレベル(高い技術要求と巨大なもうけ)で実現されたときに、先に発明したという権利で支配されることに、外国は不満があった。20世紀の終わり頃、世界経済と技術の発展とともに、外国特許を世界的に共通化する必要が高まってきたため、各国が協議し、米国で1995年に法改正が行われた(ただし、まだ完全には適用されておらず、現在はまだ一種の移行期間であるが)。この問題が将来的に解消されることで、ようやく、世界中の発明を行う人々の間で「車輪の再発明」めいた扱いを強制されることが無くなってゆくことになる。
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