潜水艦によるペナンからの哨戒
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/30 15:02 UTC 版)
「モンスーン戦隊」の記事における「潜水艦によるペナンからの哨戒」の解説
戦略物資をヨーロッパへ搬送しつつ、交易路を哨戒することは当初から想定されていたものの、連合軍の哨戒部隊が南大西洋で補給艦を撃沈すると、多くの艦はペナンに引き返した。 日本海軍の「伊 30」は1942年4月22日に出航し、同年8月6日にフランスのロリアンに入港した。 「伊 8」は「呂 501」に乗務する予定の要員を伴い、タングステンを積載して1943年6月27日に出航し、8月にフランスへ到達した。 「伊 34」は1943年11月12日に出航し翌日、イギリス海軍の潜水艦「トーラス (HMS Taurus (P399)) 」の雷撃を受けて撃沈された。 「U-178」はスズ121トン、ゴム30トンおよびタングステン2トンを積載し、1943年11月27日に出航した。そして5月25日、フランスへ到達する前にアメリカのリバティー船「ホセ・ナヴァロ」(Jose Navarro、7,200トン)を撃沈している。 「伊 29」はゴム、タングステンおよび金2トンを積載して1943年12月16日に出航し、1943年3月11日にフランスへ到着した。 「U-532」はゴム、タングステン、キニーネおよびアヘンを積載し、1944年1月4日に出航した。給油艦「ブラーケ」(Brake)の撃沈を受けてペナンへ帰投する前に、アメリカのリバティー船「ウォルター・キャンプ」(Walter Camp、7,200トン)を撃沈している。 「U-188」はスズ、ゴム、タングステン、キニーネおよびアヘンを積載し、1944年1月9日に出航した。そして6月19日、フランスへ帰投するまでにイギリスの貨物船7隻を撃沈した。 「U-168」はスズ、タングステン、キニーネおよびアヘン合わせて100トンを積載し、給油艦「ブラーケ」の撃沈を受けてジャカルタへ帰投する前に、ギリシャの貨物船(4,400トン)とイギリスの修理船「サルヴィキング」(Salviking、1,400トン)を撃沈した。 「コマンダンテ・カッペリーニ」は「UIT-24」と改称し、輸送用の艤装でゴム約30トン、亜鉛60トン、タングステン5トン、キニーネ2トンおよびアヘン2トンを積載し、1944年2月9日に出航した。しかし「ブラーケ」が撃沈されると、ペナンに帰投している。 「U-183」はスズ、ゴム、タングステン、キニーネおよびアヘンを積載して1944年2月10日に出航した。そしてイギリスの貨物船「パルマ」(Palma、5,400トン)、タンカー「ブリティッシュ・ロイヤルティ」(British Loyalty、7,000トン)および貨物船「ヘレン・モラー」(Helen Moller)を撃沈した後、「ブラーケ」の撃沈を受けてペナンに帰投した。 「ジュリアーニ」は「UIT-23」と改称し、輸送用の艤装で1944年2月15日に出航したが、その3日後にイギリス海軍の潜水艦「タリィ・ホー (HMS Tally-Ho (P317)) 」の雷撃を受けて撃沈された。 「伊 52」は輸送用の艤装で金2トンを含む積荷を積載し、1944年4月23日にフランスへ向けて出航したが、6月23日に護衛空母「ボーグ」から発進したTBFの攻撃を受けて撃沈された。 「U-183」は1944年5月17日に出航し、7月7日にペナンへ帰投するまでに船舶1隻を撃沈した。 「U-1062」は輸送用の艤装で1944年7月6日にフランスへ向けて出航し、10月5日に大西洋で撃沈された。 「U-168」は1944年10月4日に出航し、2日後にオランダ海軍の潜水艦「ヅワートフィッシュ (HNLMS Zwaardvisch (P322)) 」の雷撃を受けて撃沈された。 「U-181」は1944年10月19日に出航し、1945年1月5日にジャカルタへ帰投するまでに船舶1隻を撃沈した。 「U-537」は1944年11月8日に出航し翌日、アメリカ海軍の潜水艦「フラウンダー」の雷撃を受けて撃沈された。 「U-196」は1944年11月11日に出航し、連合軍が敷設した機雷堰を通過する間に消息を絶った。 「U-862」は1944年11月18日に出航し、太平洋を哨戒したドイツ海軍の潜水艦として唯一、1回の出撃で2隻の船舶を撃沈し、1945年2月15日にジャカルタへ帰投した。 「U-843」は1944年12月10日にノルウェーに向けて出航し、4月2日にカテガット海峡でイギリス空軍のモスキートに撃沈された。 「U-510」はタングステン、スズ、ゴム、モリブデンおよびカフェイン合せて150トンを積載し、1945年1月6日にノルウェーへ出航した。そしてフランスで降伏するまでに、カナダの貨物船「ポイント・プレザント・パーク」(SS Point Pleasant Park、7,100トン)を撃沈した。 「U-532」はスズ110トン、タングステン8トン、ゴム8トン、モリブデン4トンおよび少量のセレン、キニーネおよび結晶類を積載し、1945年1月13日にノルウェーへ出航した。このIXC型Uボートは終戦を迎え、リヴァプールで降伏する前にイギリスの貨物船「バロン・ジェドバラ」(Baron Jedburgh、3,400トン)とアメリカのタンカー、「オクラホマ」(Oklahoma、9,300トン)を撃沈している。 「U-861」はタングステン、ヨウ素、スズおよびゴム合せて144トンを積載して1945年1月14日に出航し、4月18日にノルウェーに到着した。 「U-195」は給油艦としての艤装で1945年1月17日、ノルウェーに向けて出航したが機関の故障により、3月3日にジャカルタへ帰投した。 「U-183」は1945年4月24日に出航したが、2日後にアメリカ海軍の潜水艦「ベスゴ」の雷撃を受けて撃沈された。
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