潜在的な狂気を転換
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 07:52 UTC 版)
牧野信一の家系は、牧野自身も『気狂ひ師匠』などで語っているように、代々気狂いの血筋だといわれ、牧野と仲が良く、医師であった叔父も、しばしば発作を起こして最終的には発狂し座敷牢に軟禁された精神病者であった。そんなことから、牧野の母親は、「今度はきっとお前の番だ」と息子に向って言うことがあり、牧野の初期作新の『爪』などには、自身の狂気の芽の自覚が散見されている。 堀切直人は、こういったことから、「牧野信一の文学にはまぎれもなく狂気の気配がつねにつきまとっている」と述べ、その発狂への危惧や不安を、牧野が「終生捨て去ることができなかった」と解説している。そして、牧野の精神は、「つねに累卵の危うきに堪えている態の、均衡の破れやすい、不安定で脆弱な性質を帯びていた」と考察し、この性質は、大正期の私小説においては、「肉親との愛憎のしがらみ」や、狭い対人関係の場での「過敏な神経のエクセントリックともいうべき反応のドキュメント」となり、自身を「客体化」「劇画化」しようとする企ては、「過敏な神経や過剰な自意識や憂鬱な気分に圧倒されて、試行錯誤の段階」にとどまっていたと論考している。 しかし「ギリシャ牧野」といわれる中期(1927年から1932年)のはじめあたりから、「悪夢的な軟禁状態が影をひそめ、抱腹絶倒の、賑々しい道化的カーニバル的世界がそれに取って替わる」作品が見られ出すと堀切は述べ、この時期の幻想的な作品(『村のストア派』、『ゼーロン』など)では、私小説的な「退屈で陰湿な自然主義的文学風土」を脱した明朗、軽妙、痛快な作風で、「ファンタジーとフモール」が合わさった夢幻の世界を創造していると解説し、三島由紀夫も、『ゼーロン』で、牧野の本領が発揮されていると評している。 堀切は、『ゼーロン』を執筆した頃の牧野の「錬金術的作業」により、牧野を苦しめていた「狂気の因子」が一転され、「創造的要素に変じ、地べたに低迷していた彼の精神を一躍、輝かしい高みにまで押し上げた」と解説している。また、その背景として、1927年以降、「実家の経済的没落」により、郷里の小田原へ帰っても、海辺や田園に囲まれた場所を仕事場とし、実家の窮屈な密室から脱出したことにより、「身辺雑記でお茶を濁さねばならぬという“嘆き”から首尾よく解き放たれた」ことも、その作風への影響として堀切は挙げている。
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