潜在的な狂気とは? わかりやすく解説

潜在的な狂気

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 15:43 UTC 版)

牧野信一」の記事における「潜在的な狂気」の解説

牧野信一家系は、牧野自身も『気狂ひ師匠』などで語っているように、代々気狂い血筋だといわれ、『疳の虫』や『白明』などで牧野との仲の良さ親しみ描かれている医師であった叔父も、しばしば発作起こし最終的に発狂し座敷牢軟禁され精神病であった。そんなことから、牧野母親は、「今度はきっとお前の番だ」と息子に向って言うことがあり、牧野処女作の『爪』などにも、自身狂気の自覚散見され、「頭が割れさうだ」、「狂人になるんぢやないかしら?」と呟く場面がある。 こういったことから、「牧野信一文学にはまぎれもなく狂気の気配がつねにつきまとっている」と述べ堀切直人は、牧野がその発狂への危惧や不安を「終生捨て去ることができなかった」と解説している。そして、牧野精神は、「つねに累卵の危うき堪えている態の、均衡破れやすい、不安定脆弱な性質帯びていた」と堀切考察し、この牧野性質は、大正期私小説においては、「肉親との愛憎しがらみ」や、狭い対人関係の場での「過敏な神経のエクセントリックともいうべき反応ドキュメント」となり、自身を「客体化」「劇画化」しようとする企ては、「過敏な神経過剰な自意識憂鬱な気分圧倒されて、試行錯誤段階」にとどまっていたと論考している。 しかし「ギリシャ牧野といわれる中期1927年から1932年)のはじめの『西瓜喰ふ人』あたりから、「悪夢的な軟禁状態が影をひそめ、抱腹絶倒の、賑々しい道化カーニバル世界がそれに取って替わる」と堀切述べ、この時期幻想的な代表作品(『ストア派』、『ゼーロン』など)では、私小説的な「退屈で陰湿な自然主義的文学風土」を脱した明朗軽妙痛快な作風で、「ファンタジーフモール」が合わさった夢幻世界創造していると解説し三島由紀夫も、『ゼーロン』で、牧野本領発揮されていたと評している。 しかし、その新境地もやがて暗い翳がさしはじめ晩年1934年から1936年)の作品では夢想的な世界活力失われ、「自己喪失感、零落感」が深まり、「自分生者死者かさえ」定かでなくなると堀切解説し苦悶帯びた作品群増え作中エッセイでは、神経衰弱患っている「私」の顔の比喩として「鬼」という言葉出てくるようになる。そして晩年病状もひどくなり、自殺至った

※この「潜在的な狂気」の解説は、「牧野信一」の解説の一部です。
「潜在的な狂気」を含む「牧野信一」の記事については、「牧野信一」の概要を参照ください。

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