減少の過程
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/31 01:48 UTC 版)
ショットガンハウスの建設数は次第に落ち込み、20世紀の前半には全く建てられなくなってしまう。自動車とエアコンが技術革新によって庶民の手に届くものになると、住宅購入者にとってショットガンハウスは時代遅れになってしまったのである。第二次世界大戦後、自動車社会の産物ともいえる郊外住宅地が急速に発達してくると、ショットガンハウスを建設、購入する利点が見出せなくなってしまった。一階建てのシンプルなプランという概念はランチスタイルハウスに引き継がれたものの、戦後アメリカ国内に建てられたショットガンハウスはほとんどなかった。 現存する都市部のショットガンハウスは、その立地ゆえに、いわゆるインナーシティ問題に直面している。富裕な白人層が郊外へ移住するホワイト・フライト、土地所有者の不在、インナーシティ居住者に融資する住宅ローン会社の不足などが原因となり、20世紀の中ごろから後半にかけてショットガンハウスの荒廃が進んだ。所有権の相続が何世代にも渡る中で混乱したことも、空き家のまま何年も放置されるショットガンハウスの数を増やす原因となった。 ショットガンハウスは、貧しいアフリカ系アメリカ人のための住宅であるという認識がなされることがままあるが、もともとは白人の居住地域として厳格に隔離されていた。1950年代から60年代にかけて、これらの地域の多くにおいて、黒人の居住者が圧倒的に多い状態となったが、一方で依然として、白人が圧倒的多数を占め続けた地域も多く存在した。 第二次世界大戦後から1980年代までは住み続けた人々がいたにもかかわらず、ショットガンハウスは住宅として低水準であり、貧困の象徴であると広く認識されるようになり、多くの都市再開発計画の中で取り壊されていった。ヒューストンやシャーロットといった都市では、「ショットガンハウス歴史地区」が指定されたが、このような考え方は広く普及しているわけではない。ショットガンハウスは、独特な都市生活を促進することで、質と費用効率を高める文化遺産として評価された。ジョージア州メーコンなど別の都市では、ショットガンハウスを低所得者向けに改修する試みがなされたが、スクラップアンドビルド、すなわち取り壊して新築した方が、費用的にも効率的にも優れていることが判明するという結果に終わった。 アメリカ南部の比較的古い都市には、ショットガンハウスが高い密度で残っている広い地域が相当数残っている。ニューオーリンズのバイウォーター、ルイビルのポートランドやブッチャータウン、ジャーマンタウン、アトランタのキャベージタウンなどがそれである。南部の歴史におけるこれらの地域の役割は認識されており、近年ではライス大学の主催により「ショットガン2001」と呼ばれる展覧会が開かれた。この展覧会では、ショットガンハウスをモチーフにした絵画作品の展示や講義を行い、会場も改修されたショットガンハウスとその周辺地域が使われた。 ショットガンハウスが多くを占める地域の中には、不動産価格が高騰し、高級化してしまったものも存在する。時には、新たな購入者がダブルバレルとなるように、二つのショットガンハウスを手に入れ、それらを組み合わせて比較的大きな一戸の住宅とするケースも見られる。ショットガンハウスは、改修されてオフィスや倉庫と組み合わされる場合も多い。
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