減少の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 06:45 UTC 版)
1950-60年代にかけ、生息地となる河川のワンドやタマリ・岸辺の湿地帯・ため池などの多くが河川改修や圃場整備といった高度経済成長期の開発によって消滅した。都市化にともなう生活・工業排水による水質汚濁や河川用水路への農薬流出といった要因も重なり、産卵床となる二枚貝類は減少あるいは絶滅し、本種が生息可能な水域は著しく狭められ個体数が激減した。 富山平野では、主要な生息地であった放生津潟が富山新港として開発され海水が流入し周辺水路も護岸化されたため、1958年を最後に生息確認例が皆無となった。淀川では水質汚濁が著しく1960年代初頭を最後に生息が確認されなくなった。このため1960年代後半になると富山平野と淀川からは絶滅したものと考えられるようになった。濃尾平野では木曽川水系下流域の一部で生息確認が得られていたものの、やはり生息域・個体数とも減少が続いた。1950年頃には大垣市付近の水路やため池に多数生息していたが、タイリクバラタナゴ増殖の影響を受け次第に姿を消していった。
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