混同と回復
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/18 03:28 UTC 版)
香油にまつわるこれら3人の人物を、591年、グレゴリウス1世は同一人物とした。「罪深い女」とマグダラのマリアを同一視するもうひとつの理由は、彼女が「七つの悪霊を追い出していただいた」と紹介されていることにもよる。この「七つの悪霊」を、グレゴリウス1世は七つの大罪に当てはめた[要出典]。 このため、マグダラのマリアはベタニアのマリアと、また「罪深い女」と同一視され、「罪の女」の異名を受けることとなった。悔悛した罪人(つみびと)の代表であるばかりでなく、女性の、とくに性的不品行に結びつけられ、娼婦をも意味することがあった[要出典]。正教会にはこのような同一視は存在しない。 マグダラのマリアは更生した娼婦の守護聖人となり、13世紀には娼婦や性的なトラブルに遭った女性の保護あるいは更生施設として[要出典]、聖女マグダラのマリアの名を冠した修道院がヨーロッパ各地に設立される。「magdalene」と小文字で書く聖女の名は、こうした更生した娼婦を意味することともなった[要出典]。映画にもなった『マグダレンの祈り』は、アイルランドに最近まで存続していた聖メアリー・マグダレン修道院を舞台とする。 カトリック教会では、1969年、パウロ6世の下で見直された「ミサの朗読配分」において、聖女マグダラのマリアの日に読むべき聖書の一節を、これまでのルカによる「罪深い女」の節から、ヨハネによる福音書を用いて、マグダラのマリアが復活したイエスと出会う場面に変更した。わずかながら聖女の名誉回復の一歩となった。 「罪深い女」、ベタニアのマリア、マグダラのマリアを同一人物としたのは、もともとカトリックに特有の伝承であったので、現在、これらを同一人物とする教派はほとんど無いことになるが、長年の伝統は欧米に、また日本にも、根強く残っている。 2006年3月に米国カトリック司教会議(USCCB)が開設したウェブサイトJESUS DECODEDによれば、マグダラのマリアは、上記「罪深い女」やベタニアのマリアとは別人の、イエス・キリストの「特筆すべき弟子の一人」(a prominent disciple)としている。いっぽうCatholic Encyclopediaは、これらを同一人物とする論を掲げている。 フランシスコ会訳注『新約聖書』ではマルコ(14:3)の「ベタニアで香油を注がれる」の節に対する注釈で『この女はラザロの姉妹マリア(ヨハネ12.1~3参照)。このとおりの記事はルカ福音書にはないが、これに似たような記事がある。すなわち、罪の女が痛快と愛の心からイエズスの足を涙で洗って香油を注いだことが、書き記されている(7.36~50)。そしてこの事の起こった家の主人の名前は、ルカ福音書も本書と同じく「シモン」となっている。しかし、いろいろな理由からこの類似した二つの記事は同一の出来事に関するものではないであろう。』と注釈しており、注釈者たちが三人の女性はそれぞれ別人であると解釈している事が容易に読み取れる。
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