消費の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/19 01:57 UTC 版)
家畜ヤギの肉の消費の歴史は、家畜ヒツジの肉の消費の歴史と同じくらいに古く、ほとんどの考古学者が(2007年時点)、ヤギとヒツジの家畜化が始まったのと同時に、前9千年紀半ば(PPNB前期(英語版))に、南東アナトリアのタウルス山脈南麓で始まったと考えている。ただし、家畜化が食用肉の取得ではない別の動機、例えば、乳や獣毛の取得にあった場合はこれより遅い可能性はある。ヤギ家畜化の中心地については、タウルス山脈南麓説のほかには、中心地が複数にあり、例えば、家畜ヤギの祖先種である野生のヤギ(Capra aegagrus)の生息域であるザグロス山脈西部もそのうちの1つであるとする説もある。しかし、分子生物学的手法に基づく研究でも、在地の Capra aegagrus が分布しているコーカサスですら、タウルス山脈南麓かザグロス山脈西部で家畜化された家畜ヤギが、前8千年紀に人為的に移入されたと想定されている。 西アジア各地の遺跡から出土した、古代の人類がゴミとして捨てたヤギの骨の調査に基づくと、ヤギ肉の消費量は、PPNB後期初頭(前7,500~前7,300年頃)までは、家畜ヤギより野生ヤギの方が多かった。それでもヤギの家畜化は進展し、PPNB後期末(前7,000年頃)になると、本来は野生ヤギのいなかった地域にまで、東西は地中海沿岸からザグロス山脈まで、南北はタウルス山脈からネゲヴ地方まで広がる西アジアに広がった。 前4世紀ごろの古代ギリシアの医者、ヒポクラテスが著したとされる著作『急性病の摂生法について』には、ヤギ肉がウシ肉よりも「軽く」「消化によい」と書かれている。前1世紀の古代ローマの詩人、ウェルギリウスの『農耕詩』には、ブドウ酒の神(バッコス)に捧げる犠牲について歌った部分があり、ヤギ肉をハシバミの枝の串に刺し、炙り焼き(ロースト)にする調理法が紹介されている。
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