『農耕詩』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 14:37 UTC 版)
詳細は「農耕詩」を参照 『牧歌』の出版(紀元前37年ごろ)のあとのいつか、詳細な時期は不明であるが、ウェルギリウスはマエケナスのサークルに加わる。マエケナスはオクタウィアヌスに種々の問題を取り次いだり彼から相談を受けたりする有能な実務家で、文芸に秀でた者をオクタウィアヌスの勢力に引き入れることで名門の家柄の人々の間に反マルクス・アントニウス感情を引き起こす工作を行っていた。ウェルギリウスは当代のすぐれた詩人の間にもその名がよく知られるようになっており、ホラティウスはその詩作の中で何度も彼について言及している。のちに『アエネーイス』の編集を行ったウァリウス・ルフスとも知り合った。 伝統的伝記記述によると、マエケナスの求めに応じて、ウェルギリウスは7年間をかけて(おそらく紀元前37年から29年)長編詩『農耕詩』を制作した。Georgica という原題はギリシア語に由来する。ウェルギリウスは本作をマエケナスに献呈した。『農耕詩』の表向きのテーマは、農場の経営方法を紹介することにある。このテーマに取り組むにあたって、ウェルギリウスはヘシオドスの『仕事と日々』やヘレニズム派の詩人たちによる「教訓詩(διδακτικός)」の伝統にのっとった形式を採用した。そのため、本作は六韻脚(ヘクサメトロス)の教訓詩形式で書かれている。全4巻本の『農耕詩』のうち、第1巻と第2巻は作物と果樹、第3巻は家畜と馬匹の育て方を扱う。第4巻は養蜂に関する。第4巻ではエピュリオン(英語版)の形式でアリスタイオスによる養蜂術の発見の神話や、オルペウスの冥界下りの神話が生き生きと語られる。なお、セルウィウスのような古代の注釈家は、アリスタイオスのエピソードの箇所に、もともとは、ウェルギリウスの友人であった詩人のガッルスへの賞賛が置かれていたものを、皇帝(アウグストゥス)が命じて入れ替えさせたと推測している。ガッルスはアウグストゥスの不興を買い、紀元前26年に自殺した。 『農耕詩』の歌の調子は、楽観と悲観の間を揺れ動く。そのため詩人の意図するところをめぐって激しい議論がなされている。にもかかわらず本作は、のちの教訓詩の模範となった。ウェルギリウスとマエケナスは、紀元前31年のアクティウムの海戦において、マルクス・アントニウスとクレオパトラの連合軍を破り、凱旋を果たしたオクタウィアヌスに、かわるがわる交代で『農耕詩』を読み聞かせたと言い伝えられている。
※この「『農耕詩』」の解説は、「ウェルギリウス」の解説の一部です。
「『農耕詩』」を含む「ウェルギリウス」の記事については、「ウェルギリウス」の概要を参照ください。
- 『農耕詩』のページへのリンク