消費と博覧会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 01:55 UTC 版)
「パリ万国博覧会 (1925年)」の記事における「消費と博覧会」の解説
この博覧会で意図されたものは、富裕層向けの一点制作である従来の装飾芸術と、現代の大量生産社会や消費社会との調和をとることであった。しかし実際に出展された作品の多くは、富裕層を対象とする市場に向けた一点物のファッショナブルで贅沢な服飾品や室内装飾であった。またエッフェル塔のような記念碑的建築や鉄道などの都市基盤整備、抜本的な都市改造計画はこの博覧会のために行われることはなかった。代りに、会場周辺やエッフェル塔などパリのランドマークや通りに対して装飾的なイルミネーションが施され、既存の都市の表面や建築のファサードを華やかに彩った。 毛皮、グラス、香水、貴金属などを扱うパリの高級な婦人服店や宝飾品店によるショーウィンドウをアレクサンドル3世橋の上に多数仮設し、最先端の店舗デザインを披露した「ブティック通り」は、生産でなく消費の文脈で作品を展示し、ショッピングと博覧会を融合させたこの博覧会を象徴する存在である。橋は夜になるとイルミネーションとセーヌ川につくられた噴水で彩られ、各国からの裕福な観客は橋の上のショーウィンドウに飾られたオブジェや高級服飾品を堪能して、華やかに照明されたパリ各地の高級地区で買い物をして帰って行った。この展覧会で、フランスおよびパリは第一次世界大戦後もなお装飾芸術の世界的中心地であることを誇示した。
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