消化試合の焦点
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 06:05 UTC 版)
下位の順位争い、個人の記録達成が話題となる。個人タイトル獲得や新記録達成のためにチームの勝敗を度外視したプレーが行われることもあり、しばしば批判がなされる(宇佐美徹也#記録に対する立場を参照)。また主力選手が日本シリーズ等の以降の試合(いわゆるポストシーズン)を前にケガすることを防ぐため、ルーキー選手や控えを多く投入して、試合出場の機会を与え、次年度に向けて実力をはかったり、新しい戦法を試したりすることもある(サッカーではターンオーバー制と呼ばれる)。いずれにせよ観客にとっては通常の試合とは違った楽しみ方をする必要があり、入場者数も減ることになる。またメディアでの中継も消化試合では殆ど行われず、地上波で最終戦まで中継を実施するのは、大阪のMBSラジオや広島のRCCラジオ等一部の放送局に限られる。 消化試合ではその年限りで引退するスター選手の引退試合が組まれることもよくあり(力が衰えていて消化試合でないと先発出場させられないこともある)、この場合はテレビ全国中継が行われたり満員の大観衆を集めることもある。長嶋茂雄の引退試合も消化試合であり、優勝を決めていた対戦相手の中日ドラゴンズは控え選手中心のオーダーで試合を行っている(主力中心選手はこの10月14日、名古屋市で優勝祝賀パレードをしていた)。 なお、自チームの順位が決まっていれば消化試合であるといっても、優勝チームが決定していない場合は、優勝を争うチームとの対戦では本気で戦うことがファンからは期待される。1982年の日本プロ野球のセントラル・リーグでは、横浜大洋ホエールズがセ・リーグ優勝チーム決定を賭けた中日ドラゴンズ戦で「大洋の順位は決まっているから消化試合」という認識で打率1位の自チーム選手である長崎啓二を欠場させ、打率2位の敵チーム打者の田尾安志を全打席敬遠して首位打者争いでは勝ったものの試合では大敗、中日の優勝に「貢献」して批判されたことがある。 ときには消化試合減少を狙って採った策がかえって消化試合の増加につながったり、結果的に消化試合が減少しても選手やファン等から批判が来ることもある。1952年の日本プロ野球のパシフィック・リーグでは、7チームで18回総当たりの後、上位4チームで4回総当たりする変則的なリーグ戦を採用したが、単純な成績比較ができないことや2次リーグ進出を逃したチームからの批判により、1年限りで廃止された。また同リーグが1973年から1982年にかけて採用した2シーズン制も、消化試合も前後期それぞれで発生する問題があった(後期開始までに前期の全試合を消化できず、後期終了後に前期の消化試合をすることも見られた)。これは大差試合対策も似た状況になりやすい。
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