法皇山横穴古墳
名称: | 法皇山横穴古墳 |
ふりがな: | ほうおうざんよこあなこふん |
種別: | 史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 石川県 |
市区町村: | 加賀市勅使町 |
管理団体: | 加賀市(昭5・4・15) |
指定年月日: | 1929.12.17(昭和4.12.17) |
指定基準: | 史1 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | |
解説文: | 凝灰岩質ノ丘陵ヲ穿チテ多數ノ石室ヲ作リタルモノニシテ其ノ形式ハ玄室ノ前面ニ一個若クハ二個ノ前室ヲ備ヘ又二個若クハ三個ノ石室ヲ横ニ連絡スル構造ナリ本邦ニ於ケル横穴古墳トシテ特種ノ形式ニ屬ス S53-06-031法皇山横穴群(旧名称 法皇山横穴古墳).txt: 本横穴群は、大正10年に上田三平により調査され、昭和4年12月に史跡に指定されている。昭和40年前後に既指定地に隣接する地で新たな横穴の発見があり、既指定地のものと一連の在り方を示すと考えられるので今回追加指定するものである。 本横穴群は、6世紀後半から7世紀末にかけて法皇山丘陵の凝灰岩質の地山を掘り込んでつくられたもので、玄室は前後2室からなり、アーチ形の天井をもつものが一般的である。古い時期には全長9メートルにおよぶ長大なものが目立ち、終末期には3メートル未満の小形のものが主となる。副葬品には須恵器の他、鉄鏃・ガラス小玉などが認められる。 現在、横穴は77基確認されているが、今回の追加指定する北部地域には11基、南部の地域には12基あり、併せて23基を追加指定するものである。 |
法皇山横穴古墳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/09/24 13:49 UTC 版)
法皇山横穴古墳(ほうおうざんおうけつこふん)は、石川県加賀市勅使町法皇山にある横穴古墳群(横穴墓群)である。1929年12月27日、国の史跡に指定[1]。
概要
江沼盆地の動橋川東岸、舟見岳より派生する丘陵の北端部にある法皇山塊の凝灰岩質地盤に営まれた。
1921年・22年に上田三平が26基を調査したのを皮切りに、1964年~66年の石川県立大聖寺高等学校による調査、1967年~68年の保存事業に先立つ調査を経て合計77基の横穴墓が確認されている。また山全体の総数は150~200基に達すると推定され、北陸地方最大の規模を誇る[2]。
この横穴墓群は、横穴墓の密度が高いことや、複数の玄室をもつもの、長さ10mにおよぶ家形天井の玄室をもつ横穴墓などが注目されている[3]。
遺物は須恵器、土師器、鉄刀、刀子、鉄鏃、耳飾に限られていて、横穴墓間の格差や支群間における差が少ないことが特徴とされる[3]。
副葬品の年代から6世紀後半から7世紀末にかけてのおよそ150年間にわたって造られた横穴群であったと考えられている[2]。
脚注
- ^ 法皇山横穴古墳 - 文化遺産オンライン(文化庁)
- ^ a b 法皇山横穴古墳 石川県埋蔵文化財センター
- ^ a b 『日本古墳大辞典』 大塚初重・小林三郎・熊野正也編、東京堂出版、1989年、520頁。
関連事項
外部リンク
座標: 北緯36度17分56.9秒 東経136度23分32.0秒 / 北緯36.299139度 東経136.392222度
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