沿革と事件とは? わかりやすく解説

沿革と事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/06 17:06 UTC 版)

日本労働組合全国協議会」の記事における「沿革と事件」の解説

1928年三・一五事件後の治安警察法に基づく解散命令により日本労働組合評議会評議会)が解散した後、左翼組合再結集して1928年12月25日全国代表者会議開き全協準備会を結成し事実上発足した予定した創立大会四・一六事件のため開けなかった。委員長奥村甚之助(後に前納四郎ら)。 1929年7月田中清玄日本共産党中央委員長に選ばれ警察当局の"白色テロ"に対抗するため"党の武装化"を積極的に進めることを決定するいわゆる武装共産党時代)と、全協労働争議デモ行進における"武装"を計画1930年5月川崎市でのメーデー武装蜂起企て失敗川崎武装メーデー事件)、幹部批判高まり同年6月佐藤秀一神山茂夫らにより全協刷新同盟発足また、全協内部の不満を抱えた全協内部労農派は、同年7月から神戸京都などの労働組合連合させ、各連合体組織した内部対立国内解決しえず、分派した全協刷新同盟と共に訪れた同年8月プロフィンテルン第5回大会では、全協内部闘争へ警告与えられ分裂闘争導いたとして全協刷新同盟糾弾される。 この大会で警告により、同年末に全協刷新同盟解体された。全協内部労農派は、大衆左翼の下に団結するための総評議会企画し同年8月に「日本労働組合総評議会 関東地方準備会」を関東発足させ、1931年4月18日東京で「日本労働組合総評議会」が創立した。これにより大衆活動方針転換失業者運動反戦闘争果敢に闘い1932年前半全盛期迎えた。 しかし「赤旗1932年7月10日特別号発表され32年テーゼ機械的に受け入れ同年9月天皇制打倒綱領採択示されるような極左的偏向厳し弾圧スパイ活動により、急速に衰退した1934年1月組合再建組織方針をめぐり共産党対立1934年事実上壊滅し1936年全協再建委員会検挙によって自然消滅した1930年在日本朝鮮労働総同盟吸収した土建朝鮮人労働者のなかで影響力をもち、1931年山梨県国道8号現在の国道20号工事場、1932年4~5月岩手県大船渡線鉄道工事場などの労働争議指導した。ほかに、"全協史上最も輝かし一ページ"といわれた1932年3月東京地下鉄争議(もぐら争議)などを指導した

※この「沿革と事件」の解説は、「日本労働組合全国協議会」の解説の一部です。
「沿革と事件」を含む「日本労働組合全国協議会」の記事については、「日本労働組合全国協議会」の概要を参照ください。

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