気象研究所・気象庁勤務時代とは? わかりやすく解説

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気象研究所・気象庁勤務時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 08:50 UTC 版)

増田善信」の記事における「気象研究所・気象庁勤務時代」の解説

1949年昭和24年)、気象技術官養成所研究科卒業し以後1959年昭和34年)まで気象研究所勤務する気象研究所予報研究部研究官を務めたのち、1959年昭和34年)に気象庁日本初めてとなる大型電子計算機IBM704導入したのを契機に、気象庁予報部電子計算室に着任したその後1978年昭和53年)までの19年間、予報官として主に気象力学なかでも台風進路予想など、数値予報研究モデル開発携わったこの間1959年昭和34年)に気象学会賞を受賞するまた、1961年昭和36年)に東京大学で「台風進路予報に関する数値的研究」を行い理学博士取得した1965年昭和40年)に全気象労働組合中央執行委員長選出され1968年昭和43年)までの3期3年と、1970年昭和45年)から1973年昭和48年)までの3期3年務める。 1977年昭和52年第11期1980年昭和55年)第12期2度第4部地球物理学分野日本学術会議会員選出された(任期1977年度~1984年度)。この間インドラクナウ開催されインド科学会議第72回年次大会に、日本学術会議代表して出席同時に非公式開催された「平和と核軍縮のための科学者会議唯一出席した日本人であったことから即席挨拶求められ気象学者立場から「核の冬」について述べとともに核兵器全面禁止一義的追及することの重要性説いた1978年昭和53年)から1984年昭和59年)まで、気象研究所勤務し予報研究部第1研究室長を務める。この間にも気象庁勤務時代担った数値的手法による中期予報研究続けた1984年昭和59年4月1日退職その後、「非核の政府求める会」常任世話人、「酸性雨調査研究会」代表幹事などを務める。

※この「気象研究所・気象庁勤務時代」の解説は、「増田善信」の解説の一部です。
「気象研究所・気象庁勤務時代」を含む「増田善信」の記事については、「増田善信」の概要を参照ください。

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