民謡『関の五本松』とは? わかりやすく解説

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民謡『関の五本松』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 06:07 UTC 版)

関の五本マツ」の記事における「民謡『関の五本松』」の解説

木の来歴伐採の節ですでに述べたとおり、古く失われたマツについては「早く枯死した」という説と「当地領主通行の邪魔になるとし伐採させた」という2つの説がある。民謡『関の五本松』の成立まつわる話では、後者とっている。 古くから航路目標として親しまれていた5本のマツであったが、あるとき美保神社参拝する当地領主に供をしていた者が持つ長槍が、そのうち1本に引っかかった。そのため、通行の邪魔になり、また眺望を遮るものとして1本が伐採された。土地人々マツ運命嘆きせめてもの抗議として『リキヤ節』という唄の調べにのせて「関の五本松一本伐りゃ四本(しほん)、あとは伐られぬ夫婦(めおと) ショコ ショコホイノ マツホイ」と歌った。 『リキヤ節』は別題を『焼香場(しょこば)のお井戸』ともいい、もともとは香川県仲多度郡多度津町山階地区にそびえる天霧あまぎり)山の山頂にある焼香場の井戸について詠んだ作業であったという。もともとの歌詞は、「しょこばのお井戸のような深い私の心ふられてにされちゃショコ、ショコホイノ、マツホイ」というものであった。その唄をため池造り土木技術者たちが各地広め美保関にも伝わったリキヤ節はやがて花柳界にも広まって三味線伴奏がついたお座敷唄へと変化し、「関の五本松」の歌詞夫婦和合の意味をも込めて歌われるようになったのが民謡『関の五本松』の始まりであると伝えられている。 小泉八雲著書日本瞥見記』(英題Glimpses of unfamiliar Japan1894年刊)で、伯耆から隠岐への旅行中船上から4本のマツ見たことを記述している。小泉は『日本瞥見記』の第23章伯耆から隠岐へ」でマツ民謡について言及した小泉友人とともに境港から隠岐行きの船に乗っていた。船上友人山上にある4本のマツ指して笑いながらも『関の五本松』を歌ってくれた。小泉失われたマツについて「嵐のために根こそぎにされた」という説をとり、「出雲のさる歌よみが、残った四本について、いま友人うたった歌をつくったのであると書いた。小泉はさらに、美保関の町で小さな盃と徳利四本マツの絵と金文字で『関の五本松』の歌詞書き添えた土産物見て美しい」と評していた。

※この「民謡『関の五本松』」の解説は、「関の五本マツ」の解説の一部です。
「民謡『関の五本松』」を含む「関の五本マツ」の記事については、「関の五本マツ」の概要を参照ください。

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