民謡「黒田節」とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 民謡「黒田節」の意味・解説 

民謡「黒田節」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/15 04:15 UTC 版)

黒田節」の記事における「民謡「黒田節」」の解説

筑前今様呼ばれた福岡藩武士たちに歌われいたもの日本全国広まったもので、雅楽越天楽メロディーさまざまな歌詞当てはめて歌う越天楽今様元になっている。 ある日黒田長政酒好き福島正則のもとに家臣母里友信使い出した。友信もまた酒豪であったため、長政は酒の上での間違い恐れ、杯を勧められても飲むことを禁ずる。しかし、行ってみる案の定酔っ払っていた正則は、よい飲み相手が来たとばかり酒を勧めてきた。固辞する友信に正則は「黒田の者は、これしきの酒も飲めぬのか」と執拗に酒を強い、巨大な盃を出して「これを飲み干せば、何でも褒美取らすと言ったため、心を決めた友信はその杯を見事に飲み干し褒美正則豊臣秀吉から下賜され自慢日本号貰い受けた。翌日酔いがさめて青くなった福島正則は、使いをやって返してくれるよう頼んだが友信はこれを断り、のちの朝鮮出兵日本号持参して武功をあげた。 歌詞の内容はこの逸話基づいている。NHK大河ドラマ軍師官兵衛第44回2014年11月2日放送)でもこの逸話を基にしたシーンみられる新たに付け加えられ歌詞には、幕末の福岡藩家老一次長州征伐解兵に奔走した加藤司書今様皇御國すめらみくに)の武士もののふ)は~」が入る場合がある。 昭和初期市丸小唄勝太郎藤本二三吉並び称され人気芸者歌手である赤坂小梅によってレコード化され、1942年昭和17年5月20日コロムビアレコードから発売され有名になった。当初は「黒田武士」の題で吹き込み第二次世界大戦中であったため歌詞戦意高揚内容であった戦後1950年昭和25年5月20日歌詞一部変更し黒田節」の題として再発売された。彼女の十八番であり、「黒田節小梅か、小梅黒田節か」と言われたものである典型的な七五調のための曲であり、テレビドラマ『水戸黄門』主題歌「ああ人生に涙あり」や「炭坑節」「どんぐりころころ」「月の砂漠」などの旋律とぴったり一致する歌詞である。 平尾昌晃(「平尾昌章名義)がシングル好きなんだ!」のカップリングで、シャ乱Qシングルズルい女」のカップリングそれぞれカバーしている。 2014年黒田節の逸話発祥の地京都伏見御香宮神社門前に、地元伏見有志により、「黒田節誕生の地」の立て札設置された。 地元福岡大名だった黒田孝高黒田長政親子銅像はないが、その家臣母里友信銅像博多駅前光雲神社にあり、博多人形題材としても多く用いられる。なお、郵便記念切手ふるさとシリーズ木原信作)に採用されたこともある。

※この「民謡「黒田節」」の解説は、「黒田節」の解説の一部です。
「民謡「黒田節」」を含む「黒田節」の記事については、「黒田節」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「民謡「黒田節」」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「民謡「黒田節」」の関連用語

民謡「黒田節」のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



民謡「黒田節」のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの黒田節 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS