死、そして受け継がれゆくもの
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/24 22:24 UTC 版)
「ハンス・ファラダ」の記事における「死、そして受け継がれゆくもの」の解説
永年にわたるモルヒネやアルコールなどの薬物摂取で心臓が弱っていたことが原因で、1947年2月にファラダは53歳で死去した。その直前にファラダはドイツ人の夫婦オットー&エリーゼ・ハンペルの実話に基づく反ファシズム小説『Jeder stirbt für sich allein』 (Every Man Dies Alone,『ベルリンに一人死す』) を完成させていた。この夫婦は戦争中、ベルリンで反ナチスのポストカードを作って、配布したため処刑された。ファラダはわずか24日で、ジェニー・ウィリアムズの表現によれば「白熱状態」で『ベルリンに一人死す』を書きあげた。ファラダが死去した数週間後、遺作となった本作が刊行された。彼はベルリンの行政区パンコウに一旦葬られたが、その後、1933年から1944年まで住んでいたカルヴィッチに移された。ファラダの死後、未発表作品の多くが失われ、または売却された。その原因は唯一の相続人だった後妻の無関心と麻薬常用だと見られる。 ファラダは死後、ドイツにおいては人気作家としての名をほしいままにしている。しかし、小説『Little Man, What Now?』がアメリカ合衆国やイギリスにおいて成功を収めていることを除けば、ドイツ国外では数十年にわたって忘れ去られた作家だった。ドイツにおいて『ベルリンに一人死す』は大きな影響を与えており、東西ドイツの両国でテレビ作品も製作された。小説はヒルデガルト・クネフとカール・ラダッツの主演で1976年に映画公開されている。2009年から米国の出版社メルヴィルハウスが『Little Man, What Now?』、『Every Man Dies Alone』、『The Drinker』など複数の著作を出版し始めたことで、英語圏においてファラダの名声は上がっていった。 2010年にメルヴィルハウスははじめての英訳完全版として『Wolf Among Wolves』を刊行した。2016年に『ベルリンに一人死す』がヴァンサン・ペレーズ監督で映画化された(邦題:『ヒトラーへの285枚の葉書』)。 ヒトラーが政権を手中に収めた頃に国を離れたドイツ人作家たちは、ドイツにとどまってナチス政権に迎合した作品を書いたファラダらを嫌悪していた。これら批判派で最も著名な人物はファラダと同時代の作家トーマス・マンである。マンは早い段階でナチスの弾圧を逃れ、海外に移り住んだ。反ナチズム論者からは譲歩して迎合的な作品を書いたと見られるファラダらに対し、マンは厳しい非難を表明した。「不合理な偏執かもしれないが、私の目からは、1933年から1945年の間にドイツで出版されたいかなる本も、無価値どころか手を触れるのも汚らわしい代物である。血と恥の臭いがそこには染みついている。一冊残らず挽き潰してパルプに還すべきである」 ノイミュンスター市が授ける文学賞ハンス・ファラダ賞はファラダの名にちなんで名付けられている。
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