歴史と名称についてとは? わかりやすく解説

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歴史と名称について

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/14 07:16 UTC 版)

ジプシー」の記事における「歴史と名称について」の解説

ジプシーは「西暦1100年アトス現れた」とする記録最古のものとされる15世紀には西欧各地到達したドイツジプシー確認している最古の記録1407年のものであるフランスでは1419年東部のシャティヨン・アン・ドンブに、「小エジプト出身伯爵ニコラ名乗り神聖ローマ皇帝サヴォイア公保護状を持つと称する人物率いられ一団滞在した記録がある。1421年アラス歓待され集団は、肌や髪が黒く、髭を伸ばし服装含めて当時西欧市民大きく異な見かけ驚かれた。1427年パリ現れた彼らは、「自分たちは低地エジプト出身である」と名乗ったここからエジプトからやって来た人」という意味の「エジプシャン」の頭音が消失したジプシー」 (Gypsy) の名称が生じたと言われる。 「小エジプト」「低地エジプト」が具体的にどの地域を指すかを彼らはほとんど語らなかったが、エジプト出身であることは15世紀末には疑われるようになっていた。1611年書物には、ギリシアダルマチア(ともにバルカン半島)からやって来るとの目撃談記されている。ただし西欧出現した当初、彼らは、故郷においてキリスト教徒であり、ムスリム征服され信仰一時捨てたものの、再び改宗しローマ教皇の命で償い巡礼をしていると説明したこのため欧州キリスト教圏好意的に迎えられたが、次第犯罪などのトラブル警戒されるようになり、たどり着いた街から早く出立するよう求められることなどが増えた一方で傭兵占いでは重宝がられたが、欧州国家権力が強まると、都市農村共同体属さないジプシー取り締まられるようになった追放令や国によっては死刑対象とされたほか、囚人としてガレー船漕ぎ手送り込まれることもあった。 近年日本においては、「ジプシー」は差別用語放送禁止用語見做され、「ロマと言い換えられる傾向にある。 明治時代日本の新聞ではジプシーが「西洋穢多」と報じられことがあるが、ジプシー居住圏は西洋だけにとどまらない上、生活様式日本ではむしろサンカに近い。

※この「歴史と名称について」の解説は、「ジプシー」の解説の一部です。
「歴史と名称について」を含む「ジプシー」の記事については、「ジプシー」の概要を参照ください。

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