歌手生活からの引退
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「ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ」の記事における「歌手生活からの引退」の解説
フィッシャー=ディースカウは、彼が提案したアリベルト・ライマンのオペラ『リア王(英語版)』を最後に、1978年にオペラから引退したが、歌曲やコンサートの歌手としては1992年まで歌い続けた。 1970年代からは指揮者としてオーケストラ・ピットおよび録音スタジオでの活動を開始していた。 1983年よりベルリン音楽院教授として、リートのマスター・クラスを持ち、彼のもとからトーマス・クヴァストホフ、アンドレアス・シュミット(英語版)、ディートリヒ・ヘンシェル(英語版)、マティアス・ゲルネ(英語版)、クリスティアン・ゲルハーヘルなどリート界を代表する歌手が数多く育っている。1956年よりベルリン芸術アカデミー会員、1984年よりアメリカ芸術科学アカデミー会員、1991年よりハンブルク自由芸術アカデミー会員。1992年12月31日、ミュンヘンでの大晦日のガラで歌手としての活動に終止符を打ち、67歳で演奏会活動から身を引いた。最後の曲はヴェルディ『ファルスタッフ』の最後の締めくくり「Tutto nel mondo è burla(世の中全て冗談だよ)」であった。 その後は、教育(特にリートの解釈)、指揮、絵画活動、詩の朗読活動、書籍の執筆に専念した。例えば1994年のラインガウ音楽祭では、ゲルト・ヴェストパル(ドイツ語)(ドイツ・スイスの著名な映画監督、俳優、朗読家)にも朗読されているリヒャルト・シュトラウスからフーゴ・フォン・ホフマンスタールへの手紙を朗読。また、リヒャルト・シュトラウスのメロドラマ『イノック・アーデン』の朗読と録音を行うなど、朗読家としての活動を続けた。また、ロベルト・シューマン協会の名誉会員にもなっている。 フィッシャー=ディースカウは、87歳の誕生日を10日後に控えた2012年5月18日、ベルリン・ヴェストエントの自宅と交互に住んでいたバイエルン州オーバーバイエルン行政管区ベルク・アム・シュタルンベルガー・ゼー(ドイツ語版)(Himbselweg 16)の自宅で死去した。86歳没。訃報はドイツの日刊紙フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイツング (FAZ) のトップ記事で報じられた。葬儀は2012年5月25日、ベルリン・ヴェストエントのヘーア通り墓地で行われた。ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウの最後の休息地は、ベルリン州の名誉の墓に指定されている。フィッシャー・ディースカウは2000年からベルリンの名誉市民になっていたため、他のベルリンの名誉の墓の大半とは異なり、指定の期限は定められていない。 リート、オペラ、宗教音楽と、声楽の各分野において大きな足跡を残した点は比類がなく、日本の共同通信系は讀賣新聞などに「百年に一人の大歌手」として訃報を配信した。
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