横浜鉄道海陸連絡線の開業とは? わかりやすく解説

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横浜鉄道海陸連絡線の開業

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 04:06 UTC 版)

高島線」の記事における「横浜鉄道海陸連絡線の開業」の解説

このころ日本重要な輸出商品として生糸があり、長野県群馬県山梨県などの内陸生糸産地から運ばれ生糸八王子集められ荷馬車横浜港送られていた。この八王子横浜を結ぶ重要な絹の道鉄道建設しようとする動き何回もあったが、1902年明治35年)になりようやく免許認められ横浜鉄道という会社設立され1906年明治39年6月着工し1908年明治41年9月23日東神奈川 - 八王子間が開通した。これに合わせて東海道本線上に横浜鉄道との連絡駅として東神奈川駅開設されている。 横浜鉄道では当初から、神奈川沖の海を埋め立て岸壁建設し、そこに貨物線伸ばして海陸連絡を図る構想持っていた。横浜鉄道発起人らは横浜倉庫株式会社通じて神奈川沖の埋め立て免許取得し横浜鉄道はそこへ貨物線延長する免許取得した。これにより東神奈川駅から海側へ貨物線延長することになったが、この当時すでに東神奈川駅のすぐ海側には京浜電気鉄道(後の京急本線)の線路があったために、京浜電気鉄道線路高架化することになり、1910年明治43年7月26日下り線が、7月30日上り線高架化された。この京浜電気鉄道仲木戸駅現在の京急東神奈川駅)の下をくぐって同年10月横浜鉄道線路延長された。延長63チェーン(約1.3 km)とされている。海岸側に設置され海神奈川駅正式な開業は、1911年明治44年12月10日となっている。また1910年明治43年3月31日付の鉄道院国有鉄道)と横浜鉄道契約により、4月1日から横浜鉄道国鉄借り受けて営業することになり、この海陸連絡線開業から国鉄営業することになったその後1917年大正6年10月1日付で横浜鉄道正式に国有化され国鉄横浜線となった。 この横浜鉄道海陸連絡線は、横浜港において初めての臨港貨物線であった。しかし実際には、横浜倉庫がさらに沖合埋め立て免許取得することができず、岸壁建造を行うことができなかったため、海陸連絡線結局横浜倉庫倉庫群との連絡果たしただけで、本格的な船舶との連絡を果たすことはできなかった。 横浜線海陸連絡線は、東神奈川駅東側横浜線本線から分岐して南へカーブを切り、京急本線京急東神奈川駅の下にあるガードくぐって国道15号第一京浜)を横断して千若町海神奈川駅へ至る構造であった。後に高島駅まで開業する貨物支線途中までこれと並行して走っていた。国道15号には横浜市電生麦線が走っており、市電東神奈川駅電停付近複線同士平面交差構造となっていた。このクロッシングポイントでは、国鉄側の線路横浜市電電車フランジを通す隙間設けられておらず、路面電車フランジ国鉄レール乗り上げて通過していたとの証言がある。

※この「横浜鉄道海陸連絡線の開業」の解説は、「高島線」の解説の一部です。
「横浜鉄道海陸連絡線の開業」を含む「高島線」の記事については、「高島線」の概要を参照ください。

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