柔然=アヴァール説
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初めて柔然=アヴァール説を唱えたのは、フランスのジョゼフ・ド・ギーニュであった。彼は7世紀の東ローマ帝国の歴史家テオフィラクト・シモカッタの記録と中国の史書を照らし合わせ、その共通点を見出した。 テオフィラクトの記録 テュルク (Türk) に破られる前のアヴァールは全スキタイ(東方遊牧民)中の最強者であった。 アヴァールはテュルクに撃破されると、その一部が Taugas なる国と Mukri(ムクリ)に逃亡した。 アヴァールの君主号は「Gagan」または「Khaghan」という。 中国の史書 柔然が突厥(テュルク)に撃破される以前は、北狄第一の強者であった。 柔然は突厥に破られると、その一部は西魏に逃亡した。 柔然の君主号は「可汗」という。 ドギーニュはこの3点から柔然=アヴァールと推定したのである。ちなみに、テオフィラクトの記録にある「Taugas(タウガス)」であるが、これは西魏の氏族名「拓跋」(たくはつ)にあたるとされた。 また、ドイツのヨーゼフ・マルクァルト (Josef Marquart) は、「Mukri」に逃亡したアヴァールについて、「Mukri」はメルキト部に比定し、五代後晋・後周の胡嶠『陥虜記』に「バイカル地区に嫗厥律なる種族がいた」という記述から、「嫗厥律 (Yüküelü) は、郁久閭 (Yukiulu) に間違いなく、メルキト部に柔然の一部が逃亡していた」とし、柔然=アヴァール説を一層深めた。 しかし、マルクァルトの説は妥当ではないと、フランスのシャヴァンヌ (Ed. Chavannes) は「Mukri」=「勿吉 (Muki)」とした。テオフィラクトの記録には、「Mukri は Taugas(拓跋王朝)に隣接する極めて勇武の民族」と記し、『北史』勿吉伝には、「勿吉国は高句麗の北にあり、東夷において最強である」と記していることから、勿吉がテュルクに対抗する一大勢力であり、テュルク(突厥)に敗れた柔然の一部が亡命することは極めてあり得るとした。さらにシャヴァンヌは、テオフィラクトの記録に「アヴァール民族中に住む Hermichion の王の Askel なる者が、563年に東ローマに使者をよこした」とあるが、この「Hermichion」を、真正アヴァール(柔然)が虫に関する蠕蠕と呼ばれたように、ペルシア人が偽アヴァールを Kerm(虫)の名で呼んだものであるとした。 これを裏付けるように Schaeder は、「アヴァール (Avars)」の語源はモンゴル語の「abarga(蛇、蛇動)」としている。 他にもアヴァールの君長 Anagaios は阿那瓌に比定できることや、「アヴァールの大使 Kandikh 一行がリボンをつけた長い辮髪を背に垂らしていた」「その汚れた辮髪」などという諸記録、『隋書』突厥伝李徹伝に「開皇5年(585年)、阿抜国が挙兵し、突厥の沙鉢略可汗の部落を荒涼したが、隋は援軍一万を出して沙鉢略を助けたので、阿抜軍が退去した」とあり、阿抜=アヴァールと比定できることなどがある。 以上のことから、アヴァールとは柔然の本来の民族名で、柔然とは民族名ではなくアヴァール人が建国した国名であるとし、555年に鄧叔子の柔然は突厥に撃破され、その一部は西魏へ亡命した後、557年にはまた別の一部が勿吉に亡命し、西方では東ローマ帝国に亡命、585年の阿抜の乱において柔然の残党は滅んだと考えられる。
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柔然=アヴァール説
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詳細は「柔然#柔然=アヴァール説」を参照 フランスの史家ジョゼフ・ド・ギーニュは、7世紀の東ローマ帝国の歴史家テオフィラクト・シモカッタの記録と中国の史書を照らし合わせ、以下の3つの共通点を柔然=アヴァールの根拠とした。 テオフィラクトの記録 テュルク(Türk)に破られる前のアヴァールは全スキタイ(東方遊牧民)中の最強者であった。 アヴァールはテュルクに撃破されると、その一部がTaugasなる国とMukri(ムクリ)に逃亡した。 アヴァールの君主号は「Gagan」または「Khaghan」という。 中国の史書 柔然が突厥(テュルク)に撃破される以前は、北狄第一の強者であった。 柔然は突厥に破られると、その一部は西魏に逃亡した。 柔然の君主号は「可汗」という。 テオフィラクト・シモカッタの著書『世界史』において、アヴァールを真アヴァールと偽アヴァールに分けているが、柔然=アヴァール説では真アヴァールを柔然に比定し、偽アヴァールをヨーロッパのアヴァールに比定することもある。
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