タウガス
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タウガス |
中国の名前 |
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タウガス(Taugas)とは、7世紀初期から14世紀にかけてビザンティンや西域、北方諸民族が中国および中国人を呼んだ名称[1]。
言葉の由来
アラビア語のタムガージュ(Tamghāj)、突厥碑文のタブガチ(Tabghach)などは同系の言葉[1]。また13世紀の西域人が中国を「桃花石」と呼んだのも同系の言葉[1]。
7世紀はじめの東ローマ帝国の歴史家テオフィラクトス・シモカテスは、隋による中国統一を「タウガス Taugas の統一」と表現している[2]。
語源についてはポール・ペリオや白鳥庫吉が提唱した鮮卑の部族「拓跋」に求める説がある[3]。
羅新(北京大学)の研究によると、柔然人は北魏滅亡後、自分たちの南方を「Tabghach」と呼称していた。唐代、北方諸民族は南方を指す言葉として「Tabghach」を使用していた[4]。この呼称は、突厥人に伝わり、突厥人は唐を「Tabghatch」と呼んでいた。そのため、その後の中央アジア人も中国人を「Tabghach」と呼んでいた[4]。1220年から1224年に西域を旅した丘長春は、中央アジア人が中国人を「桃花石」と呼んでいると記録しているが、この「桃花石」とは「Tabghach」のことである[4]。
脚注
- ^ a b c ブリタニカ国際大百科事典『タウガス』 - コトバンク
- ^ 廣川みどり. “トルコ族の拡大と隋唐帝国” (PDF). 帝国書院. p. 8. オリジナルの2021年12月28日時点におけるアーカイブ。
- ^ 桑原隲蔵が提唱した唐代の中国称「唐家子」に求める説もあるが後述のように唐以前(北魏滅亡後)から使われているのでこの「唐家子説」は成り立たない。森安孝夫『絲路、遊牧民與唐帝國:從中央歐亞出發,遊牧民眼中的拓跋國家』八旗文化、2018年4月3日、180頁。ISBN 9789578654037。「透過突厥第二帝國的鄂爾渾碑銘或是回鶻帝國的希乃烏蘇碑銘等古代土耳其語史料,顯示中央歐亞東部的土耳其系的各民族稱呼唐朝或唐帝國為Tabgač,這個Tabgač不是源自『唐家子』(桑原隲蔵說),而是如白鳥庫吉與伯希和所主張的,本來是『拓跋=Tabgač』這個名稱的訛音。正確的說,是拓(第一音節)的語尾-y 和跋(第二音節)的語頭b- 的子音交換,在語言學上稱為音位轉換的現象。這樣看來,就連同時代最強盛的鄰居,即北方的土耳其系各民族,在認知上也把唐朝視為拓跋。故此,唐朝不是漢人王朝而是拓跋王朝。這種中央歐亞史的觀點,從上述的事實更加提升了其正常性。」
- ^ a b c 羅新『論拓跋鮮卑之得名』北京大学出版社〈中古北族名号研究〉、2009年3月、51-57頁。
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