柔然・北魏時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 19:33 UTC 版)
袁紇部は、モンゴル高原をめぐって拓跋部の代国や北魏と争っていたが、後に台頭してきた柔然に4世紀末から5世紀初頭に柔然可汗国に従属した。 また北魏と数度戦い、390年、道武帝の北伐で大敗を喫し、429年に北魏が漠北へ遠征して柔然を打ち破ると、高車諸部族は北魏に服属し漠南へ移住させられた。 一時期、高車諸部は孝文帝の南征に従軍することに反対し、袁紇樹者を主に推戴して北魏に対して反旗を翻したが、のちにまた北魏に降った。 487年、高車副伏羅部の阿伏至羅は柔然の支配から脱し、独立を果たす(阿伏至羅国)。 阿伏至羅国は柔然やエフタルと争ったが、6世紀に柔然に敗れて滅亡した。
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