松平氏墓所とは? わかりやすく解説

松平氏墓所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/28 06:42 UTC 版)

高月院」の記事における「松平氏墓所」の解説

本堂北西位置し三つ葉葵配した石扉を中心とする石壁囲まれたおよそ50平方メートル墓域に、3基の花崗岩製の宝篋印塔東西に並ぶ。中央松平氏初代松平親氏墓塔向かって右側(東側)が第2代松平泰親墓塔左側西側)が閑照院皎月尼(松平氏4代松平親忠夫人)の墓塔伝えられる。閑照院の墓塔併置されているのは、その子第7代住持の超誉存牛実母先祖墓所に祀ろうとしたため考えられている。 3塔とも相輪・笠・基礎より構成されて塔身を持たず部分的に欠失が多いという。いずれも当地方地方に通有する形式持ち西三河式)、豊田市教育委員会はその制作年代室町時代中期後期とみるが、西三河宝篋印塔絶対年代確立していないため、正確なところは分からないまた、制作順序は泰親の墓塔→親忠夫人墓塔→親氏の墓塔の順に新しくなるとみられ、伝承上の造塔順序食い違い生まれることから、過去いずれか時期取り違えなどが生じた可能性排除できない文政年間1818年 - 1829年)に第11代将徳川家斉によって、1890年明治23年)には旧郡山藩主柳沢保申によって補修工事が行われているが、元々3基が並んでいたのか、境内点在していたもの一箇所移築したのかも判然としない中井均墓域取り囲む石壁について、下部江戸時代のもの、上部と石扉は明治時代ものとい見解示している。1972年昭和47年)、この石壁囲まれ範囲が「松平氏霊所」として豊田市史跡指定されている。 松平氏墓所から1段下がった平坦地には歴代住持無縫塔並び、さらに1段下がった平坦地には松平郷松平家第9代松平尚栄第10代松平重和板碑はじめとする古墓が並ぶ。経年劣化進んでおり、被葬者特定できない墓石多くなっている。 松平氏墓所全体最上段に松平氏霊所、2段目に歴代住持墓、3段目に古墓が並ぶ。(2014年平成26年4月松平尚栄墓(向かって左から4番目)、松平重和墓(同5番目)。(2019年令和元年8月

※この「松平氏墓所」の解説は、「高月院」の解説の一部です。
「松平氏墓所」を含む「高月院」の記事については、「高月院」の概要を参照ください。

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