松平氏の本姓についてとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 松平氏の本姓についての意味・解説 

松平氏の本姓について

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 02:32 UTC 版)

松平氏」の記事における「松平氏の本姓について」の解説

松平信光賀茂氏あるいは源姓称していたことが知られる[要出典]。元来賀茂であったのを源姓改めたものと見られる三つ葉葵家紋もまた賀茂氏由来するともみられている。7代清康清和源氏源姓世良田氏)と名乗ったこともある。9代当主となった家康は、今川からの独立直後である永禄4年1561年)に発給した菅沼氏への安堵状において「源元康」と署しており(「菅沼家譜」『久能山東照宮所蔵文書』)、永禄4年から6年の間に、5点正文を含む6点に「源氏」の署名みられる家康徳川改姓叙任の際、吉田兼右万里小路家文書調査した結果新田氏得川氏二流分かれ一方が「藤原姓となったという先例発見された。この件には近衛前久関与しており、その経緯を子である近衛信尹送った書状現存している。このため家康叙爵は「藤原家康」として行われ以降家康藤原氏名乗った笠谷和比古源氏棟梁である足利将軍家家康がつてを持たなかっただけでなく、将軍家当時当主不在であるという異常事態迎えており、取り次ぎ行った近衛前久官位奏請を行うためには藤原氏一門であるほうが好都合であったという指摘行っている。 米田雄介官務である「壬生家文書」にある口宣調査したところ、天正14年1585年)の権中納言就任以前口宣はすべて藤原姓であるが、天正15年1586年)などは不明であり、天正20年1592年9月徳川家清華家格とする「清華成り」の発給の際には源姓となり、以降一貫して源姓称していたことが明らかになっている。米田源氏改姓天正20年見ているが、笠谷は『聚楽行幸記』家康が「大納言源家康」と署名したという記事指摘し天正16年聚楽第行幸頃の時期であると見ており、足利義昭出家による将軍家消滅契機であった見ている。以降現存する発給文書でも源姓となっている。

※この「松平氏の本姓について」の解説は、「松平氏」の解説の一部です。
「松平氏の本姓について」を含む「松平氏」の記事については、「松平氏」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「松平氏の本姓について」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「松平氏の本姓について」の関連用語

1
4% |||||

松平氏の本姓についてのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



松平氏の本姓についてのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの松平氏 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS