松前藩主松前家墓所とは? わかりやすく解説

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松前藩主松前家墓所

名称: 松前藩主松前家墓所
ふりがな まつまえはんしゅまつまえけぼしょ
種別 史跡
種別2:
都道府県 北海道
市区町村 松前郡松前町
管理団体 松前町(昭5810・6)
指定年月日 1981.11.21(昭和56.11.21)
指定基準 史7
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: S54-6-028松前藩主松前家墓所.txt: 松前藩主松前家墓所は、史跡福山城の北に続く寺町一角にある松前家の菩堤寺法憧寺境内北東隅にある。墓所大きく2つ区画分けることができる。一つは法憧寺本寄り1区画で、西端南面する正門設けた東西長いほぼ長方形をなしている。背後一段高い所に初代武田信広2代光広・3代義広4代季広合葬墓、信広の養父蠣崎季繁以下の墓、5代松前慶広松前藩初代)墓等5基の墓を配し、その前面に、7代公広、8代氏広、9代高広10代矩広、11代邦広、12代資広、13代道広、14代幸広、16代昌広、17代崇広、18代徳広、19代修広をはじめ、その室や直子等の墓36基と2基の燈籠がほぼ□の字形並んでいて、この墓所の主区画をなしている。他の1区画は、主区画の東に接す南北長いほぼ長方形をなし、南端裏門開いており、6代盛広、15代良広等の墓を正面にすえて、墓石数は12基を数える。2区画とも石段造り通路には切石敷きつめている。
 墓は殆んど五輪塔形式で、小は約70センチ、大は約140センチ石造屋形覆屋おさめられているが、新しいものは、角石塔型・竿石型である。墓石は、古いものは青色をおびた凝灰岩であるが、新しいものは淡黒色砂岩または花崗岩用いられている。覆屋には木扉が造られ、扉・4壁には、経文等が彫刻されているが、扉は失われたものもある。埋葬形式多く仏式土葬であったらしいが、18代徳広からは神式変っている。
 この墓所造られ年代明らかでないが、慶長11年福山城完成し元和5年大館の町及び寺町福山城城下移したという記録があること、7代公広の墓が主区画中心をなしていることを考えると、公広の時代考えるのが妥当と思われる蠣崎季繁等の墓1基、初代武田信広以下4代までの合葬墓1基は、寛政3年、藩の史家松前広長が建白し追諡建碑したものであり、また5代松前慶広の墓は、公広以下の藩主の墓に較べて粗末であり、覆屋もないことから考え墓所建設後移されたものと思われ6代盛広の墓も、墓石から見て後世移されたものであろう
 なお、法憧寺本南西には、松前家御霊屋があり、その中には歴代藩主等の位牌おさめられている。位牌3040センチである。
 昭和54年蝦夷地唯一の藩である松前家歴史上果した役割かんがみ、その墓所のある法憧寺境内主体史跡指定して松前家墓所保存をはかるものである。
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