東山檀林旧跡
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檀林というのは、現在の大学に相当するもので僧侶の学問所のこと。開設は善正寺が現在の地に移って四半世紀のちの寛永元年(1624)檀林開基は第四世顕寿院日演上人。地名をもって東山檀林とよばれ、明治初年の廃檀にいたるまでの間、実に七百余人の歴代を数えています。東山檀林は京都六檀林の一つに数えられ、宗風大いに興り全国から多くの高僧が集まり、また多くの学僧が寄宿し勉学に励みました。花時には都下の人々が群参し、樹下に酒宴をひらいて三界の苦をしばし忘れたと言われています。 檀林における授業内容は「文句五構、玄義七構総ジテ以テ十席三十席」と定められており、一席でも休むと進級できなかったよう。学費は善正寺蔵の「新来礼銀ノ定」によると「大仲間四百銅、能化二両、玄能一両、能指南二両納メル可キコト、外ニ指南銀八十銅、妙見掛銭四十八銅納ム可キ事」となっている。 檀林の名称は近世に入ってから一般化したもので、中世後期までは談所・学室・学問所などと呼ばれた。 画、元治元年(1864)「東山名勝圖會」(「再撰花洛名勝圖會 東山之部」)木村明啓・川喜多真彦/著、松川安信ほか/より 「大頭網録」には『東西六十間、南北七十五間、五千百余坪、南禅寺、一条殿、黒谷、長良寺、西大路殿ニ寺領アリ』と記されており、寺域の規模をうかがうことができます。 寛政元年(1789)頃の「東山檀林善正寺古図」では、敷地(南北70間、東西65間)、表門(高麗門)、半門、裏門、妙見宮、番神堂、玄義講義所、文句講義所、鐘楼、玄能寮、本堂(7×8間)、釈迦堂(6間四面)、客殿・玄関、書院、庫裏、食堂、大頭寮、くず屋、経蔵、秀次霊屋、雪隠、所化寮5棟、が描かれてる。 西に表門を開き、その付近にくず屋と玄義講談所が配される。石段を登って正面が本堂、その西側に釈迦堂が何れも南面し、釈迦堂前に鐘楼、本堂東に経蔵、本堂背後に廊下で客殿・書院・庫裏・食堂に連絡する。 北西に玄能寮、北東に鎮守妙見社がある。大頭寮は北東にある。南東には文句講義所と番神堂がある。所化寮は西辺に3棟、北辺に1棟、東辺に1棟が配される。秀次廟所・墓所は北辺にある。( 「近世日蓮宗檀林の建築構成-1-」丹羽博亨(広島工業大学研究紀要 16〔通号 20〕1982/03 所収)より) 1872年(明治5年)学制発布により廃檀 現在は参道入口に檀林時代の碑が確認できる。
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